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Image by K. Mitch Hodge

海の幸 山の幸

「お魚もおいしいけれど、こう続くとお野菜が恋しくなるわね……」
「そんなこと言うならもうやらないぞ」
 遠子がひょいと身体をひねったので、菅流が伸ばした手は宙を掻く。そのまま二、三歩あとじさり、遠子は手にした串刺しの魚に大口を開けてかぶりついた。
「人の食べかけにはさすがに手が出ないでしょう」
「意地汚いことをする」
「いいぞ遠子、じぶんの食い扶持はじぶんで守るんだ」
「おれが焼いた魚だけどな」
 この夜舟をとめた入り江はすぐそばまで急峻な山が迫り、漁師のものらしき粗末な小屋にも人の気配はまるでなかった。海辺に暮らす人々に世話になることも多い海路の旅も、今宵は四人きりで火を囲んでの食事となった。
 港づたいの道行きとなれば魚や貝が主食となるのは当然のことで、遠子もはじめのうちは物珍しく名前をたずねたり、食べ比べを楽しんでみたりしたものだが、それが馴染んでくるとまた別のものが恋しくなるものだ。豊かな山の恵みを受けて育った遠子には、囲む食事に青みの乏しいことが、いかにも故郷から、慣れ親しんだ野山から遠くへだたった道のりの上にいることを思い知らされるようでもあった。
 三野の記憶は小倶那と過ごした日々、交わした約束と分かちがたく結びついており、その影が目裏に浮かぶたび胸が締め付けられるのもたしかだったが、思い出すことすら叶わなくなるのもおそろしかった。いきのびた者が忘れてしまったら、なつかしい三野、上つ里の日々はほんとうになくなってしまう。そうした思いが、火影を見つめていると浮かんでは消えて、いくらか気を紛らわそうとして口を開いた結果、食事への不満じみたつぶやきになってしまったのだった。
 頃合いを見計らって焼けた魚を手に取りつつ、今盾がぼやく。
「おれも、そろそろ肉が食べたい気分だなあ」
「そう言いながら魚を喰う」
「まあ、腹は減ってるからな」
 言いながら、今度は菅流のために一本取ってやる。
「菅流おまえ、あんまり食べてないだろう」
「食い物のことになるとよくよく気が回るなあ」
「おれのは?」
 扶鋤が口を挟むが、今盾は取り合わない。
「おまえは自分でやれ」
「おれちょっと焦げたくらいが好きなんだよな」
「ならなおさらだろ」
 特に気にしたふうもなくじぶんの分を火にかざす扶鋤のとなりで、遠子は無心に魚の身をむしっている。両手で串をもつ指のほそさ、火影にゆらめく瞳のいくぶんうつろな様子を見て、今盾はなにかにつけて「がき」と言いたがる菅流の気持ちがすこしわかる気がした。
「なあ、ここのところ順調にきてるから、明日あたりすこし寄り道しないか」
 寄り道、という一言に遠子の目の焦点が合って、くっと眉が寄った。寄越されたまなざしに非難めいたものがまじるのを敏感に察して、今盾は言葉を継ぐ。
「このさきずっと舟で行けるともかぎらないだろう。波に揺られてばかりだと、足腰がなまっちまう。山に入って獣を狩るもよし、人里を探って野菜を分けてもらうもよし」
「やっぱり食い物目当てか」
 灰を掻きながら菅流が混ぜ返すと、今盾は胸を張った。
「食い物は大事だぞ。せっかく遠出するっていうのに、魚の味にばかり詳しくなってどうする」
「ちがいない」
 ひとしきり笑った三人は、ふっと笑いをおさめると遠子のほうを向いた。
「どうする」
「遠子がいやだっていうんならやめるけど」
 かれらの心配りがわからない遠子ではない。いつもふざけて勝手をしているようだが、さいごはかならず遠子の意向をくんでくれるのだ。これは遠子の旅、遠子の心身がくじけないことこそが肝要で、菅流たちはそのことをよくわかってくれている。
 だが、それを素直に口に出すのは少々癪だった。
「意地が悪いわ。こんなに盛り上がってるところを止められるわけないじゃない」
 頬をふくらませて憎まれ口を叩く遠子に、三人はにやにやと顔を見合わせた。
「なによ」
「いいや?」
 菅流の薄い色の瞳がきらりと光る。
「人並みに気がつかえるようななったじゃないか」
「腹がいっぱいになると心も広くなるよな」
「お前と一緒にするな」
「一緒だよ、なあ遠子」
 わははとはじけるような声が夜の入り江にこだまする。遠子も意地をはっているのがばからしくなって、漏らした息はそのまま笑いに変わった。知らず張り詰めていたものがふっとゆるむのがわかって、こういうところはかなわないと思うのだった。

 入り江を出てしばらく、陸地が懐をひらき、奥まで見通せるひろびろとしたところへ出た。ちょうど昼どき、港には漁を終えた舟が次々と帰ってくるところで、真っ黒に焼けた男たちと迎える女たち、あいだを走り回る子どもで活気に満ちている。いままで遠子たちをはばんできた険しい山もここではなだらかでやさしい顔をみせ、獣や鳥を追って分け入ることも容易に思われた。それに、これだけ拓けたところなら市のひとつも立っておかしくない。まさに、遠子たちの目的にうってつけの場所だった。
 船着き場のはずれのほうに菅流が舟を寄せると、扶鋤は驚くべき身のこなしで岸に上がり、近くの年寄りをつかまえて二言三言、それからこちらに軽く手を振った。身振りで上がってこいと示してから、ふたたび年寄りと話し出す。こういうときのかれらの身軽さ、人懐こさに遠子はずいぶん助けられ、また羨ましくも思った。そのふるまいは恐れを知らない若者ならではのもので、女の身ではそうはいかないことを、象子との道のりで痛いほど思い知っていた。
岸にあげようと舟をおりた他の二人に続こうとすると、菅流が「すわってろ」と止めた。
「なんでよ。私も手伝うわ」
「踏ん張りきれずにひっくりかえるのがオチだぞ」
「馬鹿にして」
 憤然と立ち上がった遠子の袖を引っ張るものがある。今盾だった。
「砂は踏み込むとけっこう沈むんだ。おちびさんはおとなしくしとくのが身のためだよ」
 幼い子どものように諭されて、釈然としないながらもしおしおと腰を下ろす。せめて少しでも軽くなればと小さくまとまっていたら、「そんなことしても変わらないよ」と菅流たちだけでなく通りがかった人たちにも笑われて、遠子は膝に顔をうずめてしばらく貝のように閉じてしまった。

「悪かったよ」
 良かれと思ったことがすべて裏目に出て、誇りを傷つけられた遠子はむっつりと押し黙っていた。夕刻に落ち合う約束で、菅流と扶鋤は意気揚々と山に入っていき、今盾は遠子とともに里を回ることになったのだが、連れがこれでは調子も出ない。返事はないがおとなしくついてはくるので、今盾は軽く肩をすくめて様子をみることにした。
 往来には規模こそささやかだが見世も出ており、伊津母の市とはまたちがった素朴な品が並ぶ。青菜や大根といった野菜はよその土地からきたものだろう。このあたりの土地は砂がちで生えているものと言えば松ばかり、畑らしいものは見当たらないから、耕したとしてもまともな収穫は上がらないのだろう。ただ、見れば海を回って買い出しに来る者まであるようで、ここは海と山がまじりあう交易地となっているのだった。
「遠子」
 呼ばれて振り返った口に、今盾がなにかを突っ込んだ。目を白黒させながら咥えると、舌先がほんのり甘い。びっくりした拍子に吹き出した息がぷうと鳴って、遠子はさらに飛び上がる。
 その様子に、今盾は腹を抱えて笑った。
「うそだろ、こんなにうまいこといくものか」
 食べさせられたものの正体はツツジの花で、てのひらにのせたあざやかな花色に遠子の心もほころぶ。花びらの苦味をともなったほろりとした甘さは余韻をのこし、われ知らずつぶやいていた。
「なつかしいわ。遊び回っておなかがすいたら、どの花が甘いかためしてみたものだった」
「おれはいまだにやるよ。もっとも、腹にたまるもののほうがいいけどね」
「そうなの」
 遠子はおかしくなってとなりを見上げる。その表情は相変わらずひょうひょうとしていた。
「うち、悪さをすると飯ぬきでしめだされるんだ。どれほど怒鳴られるより、あれがいちばんこたえる」
「あきれた」
 とうとう声を出して笑った遠子に、今盾も笑みを深める。
「さ、いこう。花の蜜ばっかり吸ってたら、おれたち虫になっちまう」
 そう言いながらツツジをぴいと鳴らすので、遠子はなかなか笑い止むことができなかった。

 夕刻、菅流たちは目を爛々とかがやかせたまま獲物を背負って山を下りてきた。
「どっちがたくさん獲ったとおもう」
「数は扶鋤、大物は菅流」
「なんでわかるんだよお」
「いいから飯にしよう、おれもうやせてがりがりになりそう」
 今盾はさっさと鳥の羽をむしりはじめる。が、間際にそっと隠したものを、扶鋤は見逃さなかった。
「お前ら、ちゃっかり食べてるじゃないか」
「……ばれたか」
 実は、買い求めた野菜のほかに行く先々で餅や団子を少しずつ持たされており、そのほとんどが遠子の手柄なのだった。はじめのうちこそ今盾のかげに隠れていた遠子だったが、だんだん生来の好奇心を発揮してあれやこれやとたずねてまわり、しまいに今盾はただお目付け役のみに徹することにした。裏のない澄んだ明るさ、開け放しによろこぶさまは見ていて気持ちがいい。手を焼かされもしたが、半日ついてまわって、これが本来の遠子なのだとしみじみ感じたものだ。
「おれはかわいげのさかりをすぎちまったからなあ」
「なに言ってるんだお前」
「遠子を連れて行って当たりだったってことだよ」
 当の遠子も出掛けにへそを曲げていたことなどすっかり忘れて、ほくほくと鼻をふくらませながら、残りの餅を菅流たちに分け与える。
 一方の菅流たちも、同じく山に入っていた里人たちと意気投合したといい、今盾をなじるほどひもじい思いはしなかったらしい。
「家にも呼ばれたんだが、おれたちだけで決められることじゃないしな」
「その代わり、鍋を借りてきた」
「醤もあるぞ」
 三人は手早く火をおこし、今盾が指揮をとった鍋は見る間においしそうな湯気をたてた。遠子がさせてもらえたことといえばおっかなびっくり野菜を刻んで鍋の中身をまぜるくらいで、あとはひたすら食べることに専念した。
 肉のあぶらに野菜の甘み。鼻の奥に抜ける香りがあたたかな炉端を思い起こさせる。
「お、おいしい〜」
 ほとんどお面をかぶるように椀をかたむける遠子の頭に、今盾の厚いてのひらがのった。
「しっかり食べて大きくなれよ」
「ちょっと、自分が大きいからって」
 勢いよく言い返した拍子に椀を取り落しそうになって、こちらは扶鋤が受け止めた。
「ほんとうに落ち着きがないな」
「またがきだって言いたいんでしょう」
「いいじゃないか、のびしろがあるってことだろ」
 これを皮肉ととって憤然とおかわりする遠子に、今盾はあえて訂正せず自分のぶんをすする。
 ただのかよわい女の子だったら、賭けに勝ったからといって遠出に同行しようなどと思わなかっただろう。食べることを楽しめるやつに悪いやつはいない。かんかんに怒ったかと思えばうまいもので満面の笑みを浮かべる、遠子のその屈託のなさが、今盾は気に入ったのだった。
 ふと視線を感じて目だけ上げると、向かいの菅流が「ほらな」と言わんばかりに疲れた笑みを浮かべていた。菅流はがきに振り回される運命だし、ならおれたちも一緒になって回るだけ。そしてこのおもしろいおちびさんを、できるだけ遠くまで飛ばしてやれればいい。
 遠子とはいい名前をつけてもらったもんだ。今盾がふふふと漏らした笑いは、椀のなかでこだまして湯気に溶けた。

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