最強のふたり
3
クロエはとにかく顔が広い。
ただ歩いているだけでもあちこちから声がかかるなんて、都市伝説だと思っていた。言葉を交わせば必ずといっていいほど土産をもたされ、だいたいの屋台が食べ物を商っているものだから二人とも口が休まる暇がない。
「クロエ、ちょっと寄ってかないかい?」
「まあおしゃれしちゃって。ちょっとまわって見せてご覧」
「やあクロエ、こないだ話してたアレ、今日がお披露目なんだ」
「おっ何だ、男か!」
「ちょっと聞いてよクロエー」
呼びかけられるたびに愛想よく挨拶を返し、二言三言、近況を交換する。話が長引きそうになると、彼女は巧みに話題を切り替えてその場をあとにした。
歩く速さもなかなかのもので、クロエの足取りは雑踏の空隙を突いてよどみない。キースははじめこそ子供のように手を引かれることに抵抗があったが、この人混みではぐれずにいるにはこれしかないのだと悟ってから、かえって手をつかまれていないと心細いような心地がした。
クロエはキースのことを「夏至祭に慣れてない、いいとこのお坊ちゃん」とだけ紹介し、あえて素性を明かさなかった。
「領主の血縁って聞くと、いろいろ言いに来たり、よく思わない人もいるから」
昨年の不作に対して免税など焼け石に水、街道の治安についても無策を非難する声が少なくないという。キースはクロエの配慮に感謝した。
人に会うごとに、どこそこの誰、と耳打ちすることもクロエは忘れなかった。キースが飲み込みきれずにあたふたしていると、
「覚えなくてもいいから、顔だけはしっかりみて、笑顔で挨拶」
と付け加える。
ところがその笑顔がキースには上手くいかない。業を煮やしたクロエはキースを物陰に連れ込むと、合格点が出るまで微笑む練習をさせた。
人目につかない路地裏で男女が二人。笑顔の練習をしているとは誰も思うまい。
「こんなに動かない顔、初めてだわ」
「申し訳ない」
慣れない動きに頬をぴくぴくさせながら、キースはすっかり落ち込んでいる。さすがのクロエも、自分の行いを反省した。
「ごめんなさい、先生にも頼まれたから、つい張り切ってしまって」
「いや、いいんだ。俺がいろいろと足りないのはよくわかっている」
それを聞いたクロエは少し目を見開いて、否定も肯定もせずに黙りこむ。
ややあって、彼女は肩の力を抜いた。
「貴族って、もっと自信満々にしているものだと思ってたわ」
「悪かったな」
これにはキースも少々傷ついた。クロエは「ちがうの」と慌てて否定する。
「貴族といえば、自分の否なんて認めない、いいから俺の言うとおりにしろ、っていうイメージだったのよ。身分と権力が物を言う世界で、その人自信の資質や性格なんて、二の次三の次なんだろうって」
「あながち間違ってない」
キースは淡々と答えた。たしかにそういう人間は多い。
「でもあなたはそうじゃないのね。なんていうか、謙虚だわ」
「引きこもりの貧乏貴族だからな。変わり者だとよく言われる」
「あら」
クロエの目がおかしそうにきらめく。
「でも、みんなから愛されるには大切なことね」
「みんな?」
「わたしたちみんな、グラスランドの人たちのことよ」
もう一度笑ってみて、というので、キースは少々緊張しながら笑顔をつくってみせた。いまだに顔がきしむが、一応の合格点が出た。
「もう大丈夫ね。その笑顔が、この先きっとあなたを助けてくれるわ」
にっこり頷くクロエに、キースは眉をひそめる。
「どういうことだ」
「笑顔って伝染するのよ。人って、感じのいいものには優しくしたり、親切にしたくなるものでしょう。美人ならなおさら」
遠回しに美人と評されて憮然としたキースに、彼女はさらに追い打ちをかけた。
「あなた、その顔に生まれたことをご両親に感謝したほうがいいわよ。絶対に得することのほうが多いわ」
じっさい、クロエの表情や振る舞いでその場の空気がふっと軽くなったような瞬間を今日だけでいくつも経験している。彼女の言葉には説得力があった。
「それは、商売の心がけか」
「もちろん。商売、というより人付き合いの基本ね」
「ふうん。なるほど」
キースが素直に感心していると、クロエは思わずというかんじで吹き出した。
「わかった。あなた、人が嫌いというより、人を知らないのね」
「物を知らないこどもみたいな言い方しないでくれないか」
むっとして言い返したキースに、彼女はまったく怯まない。どころか、ますます楽しそうに笑った。
「さすが先生ね、よく私に声をかけてくださったものだわ。ああ、腕が鳴る」
「何を言っている」
何がそんなに楽しいのか、キースにはさっぱりわからない。彼の困惑をよそに、クロエはふたたび彼の手を引く。
「さあ、そろそろ行きましょう。まだまだ会わせたい人がたくさんいるの」
昨年、農作物に大きな被害が出たことで、グラスランドの生産者のあいだではちょっとした変化があるという。
「育てた作物をそのまま売るだけじゃなくて、より長持ちするとか、さっと食べられるとか、ひと工夫加えて売り出そうっていう動きがずいぶん活発になってるわ」
あちこちの屋台に立ち寄る道すがらに、クロエは説明する。
「だから、今年の夏至祭は変わった出し物が多いの。いつもなら冷たい飲み物とか、ただ焼いただけのものばっかりなんだけど」
言いながら、手元の紙袋から指一本ほどの大きさの四角いかたまりを取り出す。
「食べてみて」
言われるままに口に放り込むと、ねっちりした噛みごたえに野菜の香り、うっすら甘みがあるということは、これは菓子だろうか? 塩と砂糖を間違えたシチューを固めたような味に、キースの舌は混乱した。なんとか感想を見つけようとしばらく噛みしめるが、理解しようとすればするほどどつぼにはまっていく気がする。
「面白いでしょう」
食べ物に面白いという形容を当てはめる日が来るとは思わなかった。キースはかろうじてうなずく。
「保存食の試作なんですって」
「なるほど……」
「あのとき、畑が丸はだかになって、財産だけでなく食べ物の備蓄があるかどうかで生活がはっきり分かれたの。もちろん、うちみたいに商売をやっている家はあるていどの蓄えがあるし、他にもそういう家はたくさんあったから、お互いに融通して、なんとかやりくりしたけど。食べ物が足りないところにできるだけ行き渡るように、みんなで地図を広げて、当番を回したりして」
もちろん、キースはそんなことはひとつも知らない。バッタの大群が通り過ぎていくその光景は目の当たりにしたし、敷地内の植物が猛烈な勢いで食い尽くされていくさまは身の毛がよだつものがあったが、屋敷にいる限り食料を調達するのは使用人の役目だ。いくらか食卓が質素になった時期はあったがだれも文句は言わなかったし、そもそも屋敷そのものが広大な敷地のなかにあり、わざわざ出向かない限り里の様子を知るすべはなかった。
否、これまで知ろうともしなかったのだ。キースは心が俯くのを感じた。
クロエは前を向いたまま続ける。
「いま、グラスランド中がこうやって新しい生き方をさがしてるところなんだと思うわ。お金をよりたくさん稼いで蓄えておく方法、畑がダメになっても暮らしていく方法。みんなそれぞれ工夫しているけど、こういうのってバラバラにやっていてもなかなかうまくいかないのよね。新しいものを売りに出たくても、街道には盗賊が出るっていうし、護衛なんか雇ったら一発で赤字よ。なかなか先が見えなくて、だからみんな、今年の夏至祭は思い入れが違う気がするわ」
クロエが話していることは、みんなキースが学舎でまなんできたことと同じだった。
自分が屋敷にこもって本ばかり読んでいる間、クロエは自分で足を運び、見聞きし、経験することで、グラスランドの課題をあざやかに浮き彫りにした。
キースに足りなかったのは、世の中を知る意欲だけ。ただそれが致命的な差だということを思い知る。
「わたしたちができることには限界があるのよね。だから税金があるわけだけど、まさか免税とくるか、って思ったわ」
「俺もあれは愚策だと思った」
しかし、キースのそれとは捉え方が違うだろう。クロエはあくまで、未来への投資が必要だと言っている。
「あなたのお父様、あれでかなり支持を失ったわよ。支持、というより信頼ね。お金を集めることで生じる義務を放棄した。みんな、口には出さないけど見捨てられたと思ってる」
何を言っても言い訳になる気がして、キースはうまく口を開けなかった。クロエの言葉には、隠しきれない怒りがにじむ。
領主へ向けられる批判は、そのままキースへも向かうものだ。彼らは不平不満を言うだけでなく、状況を変えるべく工夫を重ねているというのに、キースはただ父へ反発して自分の世界にこもるばかり。
恥ずかしい、と初めて思った。
「でもあなた、後悔してるでしょう。これからきっと、私達の番がきたらやり直せるはずよ」
「そうだろうか」
「そうよ」
クロエは力強く請け合う。
「うまくいかなくても、今日出会ったみんながきっと力を貸してくれるわ。もちろん、私も」
その後クロエは、広場近くの角地に陣取った大きな屋台に立ち寄った。
色石や飾り紐でできた装飾品の店である。小柄だが頑健な体つきをした店主はハイランドの人間で、グラスランドの夏が気に入っているので出店にかこつけて遊びにきているのだと笑った。
「しかし、どうも物騒でかないませんな」
彼は浅黒い肌に樹木を思わせるシワを刻んだ。
「州境はゴロツキがうろうろしとる。俺たちは山育ちの強面揃いだもんで、連中寄りつきゃしませんがね」
おたくの領主さんは一体なにやってるんでしょうな、と冗談めかして言う台詞が、今のキースにはぐさりと刺さる。
彼女が店主と話すあいだ、キースはたびたび店番として立たされ、わけもわからずに客の対応をさせられた。
「な、何をすればいいんだ」
「なにが欲しいか聞いて、書いてあるとおりの値段を伝えて、間違えずにお代をもらう、それだけですわ」
「大丈夫、そこにいるだけでいい客寄せになるわ」
店の前で人が足をとめるだけでキースはもう大パニック、しかも扱うモノがモノなので、相手は若い娘ばかりである。彼女たちはきゃあきゃあと口々にさえずりながらつぎつぎに品物を試してみせ、キースはその会話のほとんどを聞き取れなかった。
それよりも、横で交わされる会話のほうが気になる。グラスランドの外の人間の話を聞いてみたい。話題はどうも、王都へつながる交通の要衝について。たちの悪い盗賊団が居座る場所があるという。
「連中、風の道の前に陣取ってやがる。しかも襲う相手を選り好みしてるって話でして、それがますますいけすかねえ」
「風の道、ファリヤの風廊のことね。あそこが通れなきゃ、王都まではひと月近くかかるわ。思いっきり流通に差し支える。領主は一体何をやってるの」
「はあ、都の屋敷でふんぞりかえってるんじゃねえですかね。お互い、頭がしょうもねえと苦労する」
どうも他にも使えない領主がいるらしいぞ、とわずかに安堵した次の瞬間、キースはひどく落ち込んだ。
(低きに流れすぎだ)
店先をどんよりさせるわけにもいかず、客がやってくると覚えたての笑顔でなんとか内心を取り繕う。とたんに、周囲からひっそりと黄色い声が上がった。
「ふふ、順調順調」
「いや、お嬢さんも策士ですな。うちはお客さんが絶えないんで大助かりですが」
「なんのことかしら」
クロエは腕組みしてキースの奮闘を見守る。
広場のほうがにわかに騒がしくなって、人の流れが変わった。
気づけばずいぶん日が傾いていて、太陽はいまにも山むこうに隠れようとしている。世界もうっすらと色を失いはじめ、見上げれば星がふたつみっつ瞬いていた。
屋台にもあかりがともされ、街は夜の顔になる。
相変わらずクロエに手を引かれたままキースが流れに身をまかせていると、木立を吹き抜ける風のように、ざわりと拍手の波が押し寄せてきた。ひとつにまとめたクロエの髪がぴょんと跳ねて、はずんだ声がこちらを振り返る。
「ねえ坊っちゃん、あなた踊れる?」
「何だって?」
からかうような口ぶりを怪訝に思いつつ広場を見やると、いままさに中央で火が灯され、炎が上がったところだった。焚き付けの枝のせいか、あたりにはつんと森の香りが漂う。
二人は、広場のふちに立って夜祭りの開会宣言を聞いた。
こまかく枝分かれした火が、太い薪の表面を舐めて大きな炎に育っていく。広場に集まった誰もが固唾をのんで見守った。炎の先が無事に組み木の頂点に届くかどうかがその年の吉凶を占うのだ。
じりじりとした時間ののち、火の手はしずかにてっぺんへとたどり着いた。
とたんにわっと歓声が上がり、腹に響く破裂音とともに上空に大きな花火が開いた。一斉に鳴る音楽とともに群衆がうねりはじめ、キースたちも右に左に流される。
「はじまった!」
クロエはぱっと手を話すと、足踏みをしながら手を叩いて身体を揺らした。
「ほら、一緒に」
「うっ、どうやって」
「どうやってもこうやってもないわ、音楽をきいて、そのとおり動いたらいいのよ」
それではなんの説明にもならない、とうっすら絶望しつつ、キースはひとまず太鼓の音に合わせて足踏みをした。
「そうそう、そういうかんじ」
ぎしぎしと音のしそうなキースをよそに、クロエはさらに回転と上下の動きを加えて、軽やかに舞い踊る。その間にも二人の間を幾人もがすり抜けていくので、いつはぐれてしまうか、キースは気が気じゃなかった。
「あっ、クロエ!」
「クロエだ!」
「ダンは一緒じゃないの?」
「今日は仕事じゃないんだね」
集まってきたのはクロエの友人たちで、クロエは軽く事情を説明してからキースを紹介した。かれらは一人ひとり名を名乗ると、夏至祭が初めてだというキースに大げさに驚き、それならと同行を申し出た。
「大勢いたほうが楽しいだろ」
「これだけ人が多いとスリも出るからな。見といてやろう」
「すごい、素敵な衣装。ちょっと見せてもらってもいいかしら」
さすがクロエの友人、みんな押しが強い。彼らは輪になって二人を取り囲み、口々に好きなことを言う。
キースは一言も発さないうちにぐいぐいと火の近くに押しやられ、あまりの人の多さに息が詰まりそうになった。
気づけば周囲はカップルだらけ。それもそのはず、人が密集する中央付近は意中の相手と近づく口実がたつので、恋する者たちに譲るのが暗黙の了解になっている。もちろんキースはそんなことは知らない。他方、クロエは訳知り顔で楽しそうだ。
「ふうん、そういうこと。腹が読めたわ」
「何をする気だ」
すでに目を回しそうなキースに、ひとりがニヤリと笑いかける。
「ぶちかましますよ」
そう言って、音楽に合わせて拍子をとりはじめた。クロエたちも調子を合わせ、目を白黒させているキースには面倒見のいい者が簡単に手ほどきをする。
総勢八名、嵐を起こすにはじゅうぶんな人数だ。
「いくぞ!」
掛け声と同時に、八人は人波のなかへ躍り出た。ゆるやかに踊りながら各々の世界に浸っていたカップルたちが、突如巻き起こった渦に悲鳴を上げる。
「踊れおどれー!」
「みんな、ついてこい!」
わけても先頭を切る二人の目は爛々と輝いて鬼のよう。その勢いに周りもおのずと引きずられた。
小さな渦は海流に変わり、祭りの主役を乗っ取った。
音と人混みの熱気に浮かされて、キースは無我夢中でついていく。だんだん自然に動けるようになってくると、身体がいつか音や光に反応するだけの火の玉になった。それは馬を駆る感覚に似てはるかに熱く、生まれては消える膨大な渦に埋め尽くされている。知り合ったばかりの者たちに遠慮なくもみくちゃにされ、自然と口が開いて大きな声が出た。そうして初めて、自分の中に燻っていたものの熱さに気づく。
年長者たちの呆れ顔をよそにぐるぐると火の回りを巡っていると、不意に近くで誰かが叫んだ。
「あっ、ダンがいる!」
「うそ!」
「逃げろー!」
今度は何だと我に返ったキースの目に、ひときわ大柄な男の姿が映った。
「だれ?」
「クロエのおさななじみ! っていうかこのへんのボス!」
キースが声を張り上げると、どこからか答えが返ってくる。
なんとかこちらに向かおうとするダンを人の群れが阻む。関係のない者たちまで面白がって、束になって押し返すものだから、彼の人相はいよいよ険悪になっていく。あの体格で暴れようにも、この密度では身動きもとれまい。
「クロエ、いいのか?」
「いいの。めんどくさいから!」
すでにキースの声は割れ始めているのに、クロエはあれだけ大騒ぎしても平気なようだ。
「兄貴たちより過保護だ」
「自分はチンピラのくせにな」
周りも言いたい放題で、キースはダンと呼ばれるあの男がいくらか気の毒になった。
その後飲み比べに巻き込まれ、すっかり酔っ払ってのびてしまったキースは、クロエの友人たちに担がれてまちなかのリチャード邸に収容された。
「お坊ちゃんて体力ないんだなあ」
「ばか、お前が呑ませすぎなんだよ」
「いや、飲んでも飲んでも顔色変わらないんだもんよ、まさかいきなりぶっ倒れるとは」
リチャード家の執事は困惑しつつも陽気な若者たちの訪問を受け入れ、ひとまずキースを引き取ってソファに寝かせた。騒ぎを聞きつけ、早々に帰宅していたアリソンとキャスリーンも降りてくる。
「どうしたの」
「うわあ、見事につぶれてるな」
「ごめんなさい……」
祭りの勢いそのままに冗談を飛ばし合っている若者たちのなかで、唯一キースの身分を知っているクロエだけが端のほうで小さくなっている。
「あんまりたのしそうだったから……」
「途中で帰ろうって言い出せなかったんだな」
アリソンはすっかりしぼんでしまったクロエの肩を軽く叩く。
「まあ、いい経験じゃないか。たらいと一緒に寝かせておけばいいさ」
「お兄様、そんな乱暴な」
キャスリーンが止める間もなく、どこからともなく現れた使用人がキースの頭の横にたらいを置いて去っていった。
「キャス、お前はこのことを母さんに話しといてくれ。キースがこんなになってるなんて言うなよ、騒ぎのもとだ。あと誰か、クローバー家に使いに行ってくれるかな」
アリソンはてきぱきと指示を出し、それから若者たちにも礼を言った。
「悪かったな、重かったろう」
「いや、飲ませたの俺たちだし」
「おかげでキレーな顔じっくり見られたしね」
「明日になったらみーんな覚えてなかったりして!」
わはは、と明るい笑い声が屋敷のホールに響く。苦い顔をする執事を目顔で制すと、アリソンはまだ浮かない顔をしているクロエに問いかける。
「こいつ、そんなに楽しそうだった?」
彼女の顔に、遠慮がちな笑みが浮かぶ。
「ええ、とっても。なんていうか、すごく素直な人ね」
「なるほど素直ね、いい言い方をするなあ」
髪は乱れ、いくらか頬を紅潮させたまま、子供のような顔をして眠るキースをみんなで見守る。
「かわいいよね」
「いいとこのお坊ちゃんって話だけど、いいヤツだよな」
年齢でいえばみんな歳下ばかりなのに、誰もが兄や姉になった気分だ。
すっかり仲良くなった彼らの様子に、アリソンの悪戯心がうずいた。何気ない様子を装って、大きな独り言をつぶやく。
「いやあ、これが次期領主だなんてなあ」
びし、と身体が硬直する音が聞こえるようだった。
「いま、なんておっしゃいました?」
アリソンはニヤニヤが止まらない。
「こいつ、次期グラスランド領主。クローバー家の長男」
若者たちは沈黙したままキースに目を戻し、それから揃ってクロエを見た。
「知ってたの?」
「うん……」
「言ってよ!」
途端に頭を抱える彼らに、アリソンはとうとう笑いがこらえきれなくなった。
「な、領主の息子でもなんでも、いいやつだったろう」
「いいやつだった……」
ひとりが悔しそうに答えた。
「くそ、そういうことか……」
「そういうことだ、これからも仲良くしてやってくれ。あ、よかったら俺も」
そんなやりとりが行われているとはつゆ知らず、キースは口を開けたまま眠りこけている。