最強のふたり
2
夏至祭は、文字通り夏至の日におこなわれる。
一年でもっとも日照の長い日に、たくさんの出し物や屋台が街じゅうを賑わせ、人々はもっとも短い夜を踊り明かす。その年の豊作や日々の息災を願う祭りであると同時に、若い男女にとっては決まった相手をみつける絶好の機会であった。
「キャー! デートですってえ」
まばゆいばかりのブロンドに、薄紅の花びらを幾重にも重ねたようなサマードレス、アリソンの妹キャスリーンは兄から話を聞かされるなり金切り声を上げた。
「キャス」
「ごめんなさい、あまりのことに抑えがきかなくなってしまって」
まちなかのリチャード邸でのことである。
で、どなたといらっしゃるの、とキースに詰め寄る妹を無理やり引き剥がし、アリソンは本題に戻った。
「適当な衣装を見繕ってほしいんだ。夏至祭にこれはないだろ」
「あら」
キースの服装を上から下までじっくりと見分して、キャスリーンはしみじみと言った。
「……ないわね」
「だろう」
兄妹に全否定され、キースはあらためて自分の格好を見下ろした。祭りらしく涼しげに、とアリソンに言い含められていたので外出着のなかでも軽装を心がけたのだが、シンプルにシャツにズボンではいけなかったらしい。
「狩りに行くならまだしも」
「そうか?」
キャスリーンが隣室へ続く扉を開いた。
そこは衣装箪笥ならぬ衣装部屋。おびただしい数の衣装が、およそ色別にずらりと吊るされている。折り重なる布の森の向こうから、キャスリーンのくぐもったつぶやきが聞こえてきた。
「おまつりですもの、もっと華やかに……開放的に……それでいて品の良さがうかがえるような……」
扉の向こうからは衣装がポンポン飛び出してくる。
しばらくしてキャスリーンが雛鳥のごとくポンと首を出したので、そろそろ終いかと期待すると、
「気に入ったものがあればお知らせくださいましね」
と言いおいてまた衣装部屋に潜っていった。
そう言われても、キースはすでに服装に関する自信を喪失している。救いを求めて見上げてくるその表情に吹き出しつつ、アリソンが助け舟を出した。
「キャス、おいキャス」
「はあい?」
「お前だったらどれがいいと思う」
兄の問いかけに、ふむ、と顎に手を当てて考え込むことしばし。
やがて彼女は、積み上がった山の中から濃い色の生地をひっぱり出した。
「たとえば、この詰め襟の形がキース様の禁欲的なイメージにぴったりではないかと。お顔立ちですとかすらっとしたお姿から、きっと異国風の衣装がお似合いになるんじゃないかとわたくしつねづね思っておりましたのよ」
「よし、それでいこう」
いいだろ、と目線を投げかけるアリソンに、キースも首肯で答えた。一発で希望が通ったキャスリーンは手を叩いて喜んでいる。
キースが着替えるために衝立の向こうへ引っ込むと、火がついてしまった彼女は兄の衣装にも注文をつけはじめた。
「お兄様、せっかくの胸板なんですからもう少し肌見せなさっても」
「おい、やめろ、お兄様っていうのもよしてくれ」
「お友達はみんなこんな調子よ」
「お前のまわりはお嬢様ばっかりだからな。どうやったらそんなに仲良くなれるんだか」
「だって、女の子同士ですもの」
兄妹のやりとりを聞き流しつつ着替えていたキースだが、なにしろ初めて見る形だ。着付け方がわからない。なんとか羽織ってはみたものの、衣装の前はだらりと開いたまま。
「おい、すまないが……」
「アーーーーーッ!」
耳がキーンとして、キースは慌てて首を引っ込めた。
「キャス……お前な……」
「み、見てしまったわ……」
「男の裸ぐらい、俺や父さんのを見てるだろう」
「それとこれとは話が別よ!」
アリソンはやれやれと目を覆った。
「すまんキース、こういうヤツだ」
「知ってはいたが……少し見ない間に磨きがかかっているな」
キースの耳には、キャスリーンの絶叫がいまだにこだましている。
そろそろ、ここに来たことを後悔しつつあった。
「着方がわからないんだろう、俺が手伝う」
「わかるのか」
「さんざんキャスのおままごとに付き合ってきたからな、だいたいわかる」
「はじめからそう言ってくれ」
アリソンは実に手際よく衣装の留め具を扱い、なんとか落ち着きを取り戻したキャスリーンが仕上げの手を加えて整える。こうして大騒ぎの末、やっとキースの身支度が済んだ。
東洋風の襟の詰まった長衣は花の織模様が入って紺碧の光沢、左肩をくるみボタンで留め、まっすぐなシルエットは脛のなかほどまでストンと落ちる。腰にしめた幅広の帯には銀糸の刺繍が施され、結んだ先はだらりと風に流した。やわらかい生地の下穿きは足首できゅっとすぼまって、履き物はこれも紺に銀の飾り糸で縁取られたサテン地の沓。キャスリーンはさらに星の耳飾りを出してきたが、これはキースが断固拒否した。
「少々派手すぎやしないか」
「いいえ、いいえ……! これで、どこからどう見ても星をまとった異国の貴公子ですわ!」
「だそうだ」
「はあ」
「夏至祭ですもの、これでも装飾を控えたくらいですのよ」
わかったわかった、と手を振るアリソンもいつの間にか着替え終わっており、シーグリーンに金糸の衣装が彼の金髪を引き立てた。こちらも腰には幅広の帯、キースのものとは対照的に襟まわりを大きく開けて野性的だ。
「涼しそうだな」
「まあな、キャスの趣味だ」
「なるほど」
聞けば、キャスリーンはいずれ貸衣装屋を開く気でいるらしい。きっと天職だろうとキースは思った。
街の中心部に向かうほどに道沿いの屋台の数は増え、出歩く人々は誰もかれも薄手の衣装をひらひらさせて涼しげだ。キースはおのれの格好が、形こそ珍しいものの決して派手ではないことを知った。
「ところで、本当に夏至祭に来たことないのか」
「人が集まるような機会はできるだけ避けてきたからな」
「暗いな」
「何とでも言え」
たどりついた広場の中央にははるか見上げるほどの高さに薪が組み上げられていた。まだ火のないそこは格好の待ち合わせ場所で、たくさんの人でごった返していた。
探すまでもなく、クロエの姿はそこにあった。
細かいプリーツの入った、淡い黄色のドレス。腰の高い位置にグラスグリーンのリボンを結んで、ふわりと広がるシルエットが風になびく。彼女の明るい印象によく似合っていた。
「やあ、花の妖精かと思ったよ」
キースからすれば歯の浮きそうなアリソンの呼びかけに、クロエはいくらかきまり悪げに振り返った。
「私はいいって言ったのに、おじいちゃんがちゃんとおしゃれしろって」
「まあ、夏至祭だからね」
アリソンに横からつつかれて、キースもやっと口を開いた。
「よく、似合うと思う」
「あら、ありがとう。お二人もとっても素敵よ。それにしても珍しい形の衣装ね」
クロエの口調はこの間よりもいくらかくだけていて、これが彼女の素のようだった。キースがおそるおそる指摘すると、彼女はからりと笑う。
「仕事のときは切り替えるの。もっとも、街の人達と話すときはいつもこんな感じだけど。きになるかしら?」
「いや、このほうがいい」
キースはあからさまにほっとしている。彼は貴族令嬢とそれに類する女性を特に苦手としている。例外はキャスリーンくらいのものだ。
今回、アリソンが把握している教授の目論見は、三つあった。
ひとつ。引きこもりがちなキースを外に引っ張り出し、人に慣れさせること。
ふたつ。キースの見聞を広め、次期領主としての自覚と人脈を築くこと。
みっつ。あわよくば、クロエがキースのパートナーとなって共にグラスランドを支えてくれること。
年頃の娘とそれなりに会話が成立している時点で、ひとつは障害を乗り越えたといっていい。少なくともアリソンは、慣れた人間以外でキースがまともに目を見て話しているところなど初めて見た。もっとも、目をそらそうとするとクロエが追いかけてくるので、彼に逃げ場はない。
必要だったのは、こういう相手だ。アリソンは、二人のやりとりに手応えを感じた。あるいはクロエなら、という教授の見立てに間違いはなかったらしい。
(これは、意外とうまくいくんじゃないか)
ならば邪魔者はさっさと退散するにかぎる。
「よし、俺は行くぞ。クロエ、こいつの世話を頼む」
「おまかせくださいな!」
クロエが胸を張る一方で、キースが「もう行くのか」と心細げにするので、アリソンとクロエはおどけた顔を見合わせた。
「とって食ったりしないから」
「そうそう」
「いや、あの」
クロエにむんずと手首をつかまれ連れ去られるキースをニヤニヤ笑いながら見送って、アリソンも祭りに繰り出す。目当ての娘に、なんだか無性に会いたくなった。