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最強のふたり

1

 クラバート=フォスターは経済学の教授で、クローバー領グラスランドのタウンハウスに一人で住んでいる。
 まちなかとはいえグラスランドそのものが南方の辺境にあり、間取りは広々としてゆとりがあった。にもかかわらず氏の蔵書は書斎から溢れて階段を下って玄関ホールにまで達しており、陽射しが燦々と降り注ぐはずの大きな窓にも書物の日焼けを嫌って重い帳が下ろされている。彼は暗がりに住まう変わった生き物として、近隣の住民から慎重に距離を置かれていた。
 そんなフォスター教授宅の書斎の窓が開け放たれるのは、来客がある場合に限られる。この日も例にもれず、教え子が二人訪ねてきていた。
 キース=クローバーとアリソン=リチャード、いずれも良家の子息であり、キースの家に至ってはこの地の領主である。
「きみたち、ここは若者の談話室ではないんだがね」
 フォスター教授は白髪のまじりはじめた眉をひそめつつ、しかしまんざらでもない様子で肩をすくめた。
 その暮らしぶりばかりが取りざたされるが、ほんらい彼は温厚で面倒見がよく、学生からの評判は上々なのだ。とうに卒業したキースたちの訪問も、なんだかんだ言いながら受け入れてくれる。学問への愛が上回っているだけで、決して人が嫌いなわけではないのである。
「僕たちが来なければ、先生、部屋の片付けもままならないではないですか」
「むう、しかしなにもこんなに大きく開けなくても」
 教授のデスクには、さきほどまで議論していた内容に関する書物が山をなしていた。在学中からこの部屋に出入りしている二人は、それらが書棚のどこへ帰るべきなのか、だいたい把握している。
「虫干しにはちょうどいい気候です」
 初夏の風が花の香りを運んできて、舞った紙片をアリソンの手が封じた。
「たまには光を当てて風を通してやることも必要ですよ。書物にとっても、先生にとってもね」
 そう言ってバチンと片目をつぶる彼に、教授はただ苦笑いを返すのみ。
 短く刈った赤金の髪や大柄な体躯に似合わず、彼は昔から無闇に愛嬌を振りまく習性がある。一方、隣のソファに背を預けたキースはにこりともしない。ゆるく流した黒髪と物憂げな表情がその玲瓏たる美貌を際立たせ、細い銀縁の眼鏡も相まって、アリソンと並ぶ様子はまるで太陽と月のようであった。
「ほんとうにお前はよくしゃべるな」
「社交性のかけらもないお前には言われたくないね」
 鼻息荒く言い返すアリソンを一瞥し、キースはただ溜め息だけを返した。さっきからずっとこの調子である。教授とアリソンはやれやれと顔を見合わせた。
「で? 今度はなんだ。また縁談がらみか」
 キースの溜め息は重さを増した。どうやら図星らしい。
「なぜうちの両親はあんなに能天気なんだ……」
 クローバー家の家計、つまりグラスランドの財政は、現在進行形で火の車である。
 国が戦争をするというので領内から供出したもろもろは戦が立ち消えになった後も戻ってくることはなく、追い打ちをかけるようにグラスランド中の農地を蝗害が襲った。
 幸い、温暖な気候と肥沃な大地のおかげで餓死者こそなかったが、その殆どが農林業に従事する土地柄である。収入は急激に落ち込んだ。これを哀れんだお人好し領主、すなわちキースの父親が考えなしに税金を減免したことで、ただでさえ苦しかった財政にとどめをさした形だ。
 これが昨年のこと。
 近頃では、食い詰めた領民が街道沿いで盗賊まがいの行為をはたらくまでの事態になっているというが、いまのクローバーにこれを取り締まる力はない。領内の保守どころか屋敷で出す食材の確保にも手が回らないありさまで、使用人たちは裏手の森で連日鳥撃ちに励んでいる。キースの結婚相手、すなわちどの家と婚姻を結ぶかが財政立て直しの肝であると、キース以外の誰もが期待している状況だ。
「グラスランドの産業は、これまで大地の恵みに頼りきりだったからな。まあ、私もこの前時代的なところを気に入って移り住んだわけだが」
「教授、これ以上キースをへこませるのはやめてください」
 アリソンが慌てて割って入ったが遅かった。
「前時代的……」
「ああー、言わんこっちゃない」
 折れ曲がりすぎてとうとうキースの顔が見えなくなってしまった。
 爆薬の普及により鉱山の開発が進み、世の中はあらゆる方面で機械化の一途をたどっている。王都には国内外から研究者や発明家が招聘され、あちこちの工房が競うように煙を吐き出しているということだが、そんな時代の喧騒も、冠雪の貴婦人たるクイーンズ山脈に隔てられてグラスランドまでは聞こえてこない。
 これを伝統の保全ととるか時代遅れととるかは、評価の分かれるところだ。
「で、今度はどちらのお嬢さんなんだ」
 アリソンの問いに、キースはものすごく嫌そうな顔をした。
「なんだよ」
「いや」
 溜め息ののち、キースが答える。
「ウォーロック家だ。今回は顔合わせの日取りも決まっている」
 これには教授もアリソンも、ウッと言葉を詰まらせた。
 ハイランド伯ウォーロック。
 父からその名を聞いたとき、キースは軽く目眩がした。
 クイーンズ山脈に連なり、鉱山として名高いレイフ山を所領にもち、自らは王都に屋敷を賜って政治の中枢に君臨する、大有力貴族である。家格はクローバー家と大差ないのだが、爆薬の利権までほぼ独占しているため、財力には雲泥の差がある。
 逆玉の輿といっても差し支えない縁談だ。
 非常に、ことわりにくい。
 見せられた額におさまっていたのはラピスラズリの青をまとった可憐な少女の絵姿で、名をグレアといった。自然豊かなグラスランドと、キースの誠実そうな人柄に惹かれた、というが、社交の場にほとんど出ていかないキースをどこで見知ったというのか。十中八九、ほぼ手つかずの土地が目当てだろうと推測する。
 そもそも、ウォーロック家にはいい印象がなかった。先だっても、鉱山から流出した土砂について領民から苦情が上がったばかり、爆薬の利権を得た経緯にも黒い噂がつきまとう。平たく言って、金と権力のためなら手段を選ばない者たちだとキースは思っていた。
「で、どうするんだ」
「俺はイヤダ」
「だよなあ」
 二人から同時に憐れみの目を向けられて、キースは何度目かわからない溜め息をつく。さまざまな理由から、持ち込まれる縁談の圧力は増すばかりだ。そのどれもが、キースからすれば故郷を飲み込まんとする大蛇の顎に見えた。貴族の娘を迎え入れることはすなわち、グラスランドを開発の波にさらすということを意味している。
 ボケきった家族はともかく、キースは緑豊かなこの土地を心から愛しているのだ。
「家が心配で結婚できない……」
「それは嫁に行く娘の台詞じゃ」
 憂える美貌は姫君といっても差し支えなかったが、それを言うと逆鱗に触れるのでアリソンはぐっと飲み込んだ。伊達に付き合いは長くない。
「いっそここに住みたい」
「君はこのうえ私の平穏を乱す気かね」
「弟子にしてください」
「思考を放棄するのはよしたまえ」
 教授には災難なことだが、少しだけキースの調子が戻ってきた。
 アリソンの実家は規模こそ大きいが商家だ。祖父が農機具の改良と普及によって財をなした。庶民でありながら貴族と机を並べることができたのは金の力が大きく、学舎においても、由緒正しく格式高い連中からはずいぶん白い目で見られたものだ。キースのように家柄にこだわらない男は貴重なのである。
 まあその余裕も苦労も、持てるものだからこそという気はするが、アリソンは単純にキースが好きだった。将来の領主とつながりをもつという意味でも悪くない。
 キースはキースで、貴族間の面倒な付き合いを避けて図書館に籠もっていたような男だから、アリソンと行動をともにするのが一番楽なのだった。
 やいやい言い合う二人をなだめていると、ふと扉の外に気配を感じた。アリソンは耳をそばだてる。
(気のせいかな)
 ひとまずやり過ごしていると、今度ははっきりと戸を叩く音が聞こえた。
「おお、来たか」
と教授が腰を浮かす。扉の向こうから、鈴のようなよく通る声が響いた。
「先生、ファインズ・ベーカリーでございます。お品物のお届けにあがりました」

「なるほど、貴女が」
 扉を開けて思わず声を上げたアリソンに、大きな籠を提げた娘はにこりと隙なく微笑んだ。
 書斎いっぱいに小麦の香ばしいかおりが満ちる。三人の手はいずれも「新作ですの、どうぞお試しくださいな」と手渡されたパンでふさがった。
「アリソン、知っているのか」
「直接の面識はなかったけどね。彼女はクロエ=ファインズ、ファインズ・ベーカリーの末っ子のお嬢さんだよ」
「クロエとお呼びください」
 アリソンの紹介に合わせて、クロエは優雅に膝を折った。丸襟のブラウスにブラウンのオーバーオール、栗色の髪は高い位置ですっきりとまとめて、年頃の娘というより下働きの少年のようなのに、所作や言葉遣いには隙がなく完璧。凛と伸ばした背筋に、彼女の仕事への誇りがにじんでいる。顔立ちは決して派手ではないが、瞳に宿る強い光が印象的だった。
 なごやかに、キースだけはいくらかぎこちなく挨拶を交わす。
 商人の息子らしくそつなく話題を振るアリソンに、街の事情に明るく見識の広いクロエ。明快な言葉のやりとりは心地よく、キースもいつの間にか会話に参加できていた。クロエは貴族の娘たちのように、相手の出方を探ったり、思わせぶりな言い方で試したりはしない。それがキースにはとてもありがたかった。
 教授はそんな三人のようすを、しばらく満足そうに眺めていた。新しい出会い、それによって高め合う若者たちを見守るのはいつだって幸せなことだ。長く教鞭をとりつづけているのはひとえにそのためだと言ってもいい。
「そうだ」
 名案が浮かんで、教授は身を乗り出した。
「クロエ、きみなら問題を一気に解決できるかもしれないね」
「はい?」
 アリソンは嫌な予感がした。クロエ本人と、おそらくこちらも当事者になるだろうキースも、何のことかわからずキョトンとしている。
「よしよし、我ながらいい案だぞ。きみたち、夏至祭の日はあけておきなさいね。クロエのお祖父様には私が話をつけておこう」
 すっかり忘れていた。フォスター教授は学者としてはもちろん、これと見込んだ学生の仲立ちをしたがることで知られている。それは研究パートナーの場合もあったが、多くは男女の縁結び。だいたいがうまくいくものの、キースに限ってはどうだろう。まして、相手の娘はアリソンとおなじ庶民である。
(大丈夫かなあ)
 どう転がっても骨を拾うくらいはしてやろう、とアリソンは心に決めた。

 クローバー邸は市街地から離れた田園地帯にある。
 フォスター教授宅からの帰り道、キースはまちはずれの厩舎に立ち寄った。あずけていた馬の手綱をとると、長く伸びた鋼色の巨体が身を起こす。鱗がこすれる硬い音がして、金色の瞳がこちらをみとめた。
「またせたな」
 きゅうう、と喉を鳴らしたかれはリューン、キースと成長をともにした愛馬である。帰りがけに買ったパンの袋に鼻面を寄せるのを片手で制して、井戸から汲み上げた水を与える。
 鋭くとがった鉤爪、石で舗装された道は馬には向かない。かれらには切り立った岩場や広大な草原こそがよく似合う。
 リューンの背に鞍をかけ、横腹を軽く蹴ると、かれは心得たとばかりに体勢を低めて地面を蹴り出した。
 脚まわりの筋肉がせわしく躍動し、あっという間に風景が融けて流れていく。リューンの金くささと荷袋に詰めたパンのかおり、丈高く茂る草のにおいがまじりあう風をキースは全身で楽しんだ。風圧を避けて身をかがめると、しなやかに隆起を繰り返すリューンの背筋が目に入る。
 ただ無心で駆けるこの時間が、キースは何より好きだった。
 季節や天候によって、風の色は刻々と変わる。ひとつも見逃すまいと神経をこらしていると、頭のなかがすっかり空になる。一度空にしてしまうと、あとから大事なことが浮かび上がってくるのだ。
 すこし遠回りして、水辺でリューンの背を降りる。ファインズで買ったパンをかじりながら心に浮かぶのは、やはり将来のことだ。
 自分が家を継いで、グラスランドはどう変わっていくのか。それは誰かを伴侶に迎えることと同義なのに、そのイメージだけはさっぱり浮かばなかった。

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