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Image by Emmy Smith

最強のふたり

 

「ここ、どこなのかしら」
「さあなあ」
 クロエは連れの気のない返事にこっそり溜め息をつき、うっかり煙を吸い込んで激しくむせた。
 こうなったのはほとんど自分のせいだから文句も言えないが、それでも、真っ暗な森の中に知り合って間もない男と二人、というのはいかにも心細かった。さいわい季節は夏、彼に野営の心得があり、火を焚いてくれたので明かりはじゅうぶん。しかしそうすると今度は沈黙が痛い。
 夜の森というのは得体の知れない世界だ。がさりと茂みがゆらぎ、ばさばさと大きなものが羽ばたく。炎の踊るさまは見ていて飽きなかったが、そのぶん耳敏くなってしまって、薪のぱちりと爆ぜる音や獣の細い鳴き声にまでびくりと身体を揺らしてしまうのが、なんとも情けなかった。
 と、目の前の男がおもむろに腰をひねって後ろを振り向いた。背後には彼の馬が長い身をぐるりと横たえて休んでおり、その鼻面をぱたぱた叩くと眠たそうに首を持ち上げる。男は手綱を引いて立ち上がると、そのままクロエのほうへ回り込んできた。
 身構えるクロエに、彼は一度立ち上がるよう促した。怪訝に思いながらもしたがうと、馬を寝そべらせて背中をひと撫で、馬はクロエが腰掛けていたあたりを取り囲むように体を丸めてすっかり落ち着いてしまう。示されたとおりその腹に背をあずけてみると、背後の闇の気配がずいぶん薄れた。硬い鱗の感触も、呼吸にあわせてわずかに身体が前後するのも気にならない。生き物がいる、というかんじがする。
「後ろを守るものがあると安心だろう」
 そう言うと、彼はふたたび元の場所に腰を落ち着けた。
「ありがとう」
「うん」
(気を遣ってくれたのかしら)
 その顔をまじまじと見返す。領主の息子、愛想なし、世間知らず、人嫌い……とさまざまな貼り紙に気を取られて、まともに顔を見たのはこれが初めてかもしれない。黒髪に縁取られて冷たく整った容貌、長い睫毛を伏せたまま火の世話をする彼はいま、火明かりのためか雰囲気もやわらかく見える。
「名前は何ていうの」
「俺?」
「あなたのはとっくに知ってるわよ、この子の名前」
「リューン」
 そう、リューン、とつぶやきながらクロエは獣の首筋を撫でる。リューンは、フンと鼻を鳴らして身動ぎした。
「首はあまり触らないほうがいい」
「そうなの」
 クロエがあわてて手をひっこめると、「ハッ」と笑い声がした。馬鹿にされたのかと思って鋭く見やった先にあまりに自然な笑顔があって、うっかり見とれてしまった。
(こんな顔もできるのね)
 束の間のことで少し得した気分になりながら、クロエはあらためてリューンの背中を撫でる。
(人嫌いだなんて言って)
 その実、相手のことはよく見ているのだ。
「リューンを貸してくれて、ありがとう」
「ん? うん」
 せめて彼の背後は自分が見張っていようと頑張ったが、クロエは自分で思っている以上に疲れていた。いくらもしないうちにうとうとしはじめ、そのうちすっかり寝入ってしまった。
 

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