がらんどう
風が吹いている。
魔法使いは、その左腕に熾火をくすぶらせながら、己が焼き払った土地を眺めていた。焼け崩れた瓦礫の山はかつて家だったもの、黒くねじれたまま佇立するのはかつて木立だったもの、干上がった小川のへりに土塁のごとく折り重なるのはかつて人だったもの。彼らの無念をはらんでたちのぼる煙を、風が彼方へ運んでいく。
とくにどうということはない。なすべきことを為したのみ。
今回の連れ合いは実にいい。瞳に暗い火の車を宿し、言葉には呪いが満ちている。生きているだけで戦を呼ぶような男だ。おかげで次から次へと敵が湧いて出て、片端から焼き尽くしていくので飽きることがない。
いまのところは。
長い道のりに倦んでいた。この身体ははるか昔に肉体であることを辞め、燃え盛ってしようのない魔性の火を制するためだけの器と化している。鎮まることを知らない魔鉱炉、その苦しみと焼却殲滅の高揚だけが、己が身にわずかに残された情動。
肌を撫でる静寂。風向きが変わる。
ひどいにおいが鼻をかすめて顔をしかめた。はらった煙の越し方を見やって、眉間に刻んだ皺をさらに深める。
(なにかいるな)
ぶすぶすと立ち込める灰色の視界に、一点おかしな動きを見た。
依頼主に義理立てする気は毛頭ないが、己の業火を免れた者があるかと思うといささか癇に障った。灼けた地面をかまわず突っ切り、正体をたしかめに行く。
そこには一見、なにもなかった。屋根の吹き飛んだ粗末な小屋がぽつんと残るのみ。焦土と化したこの場所で、いくらか形を保っていることが不自然といえば不自然である。
片隅から妙な気配がした。近づいてみると、ここは一段と薄暗い。あたりに満ちた煙のためだけでなく、なにかが光に干渉して身を隠しているのは間違いなかった。
(引きずり出してやる)
ひと息にその身を裏返す。
顕したのは最悪にして極上の炎、いかな闇も暴き立てる性をもつ。人型をした白熱の火柱が、ぼんやりとわだかまる闇に鋭く迫った。色彩をもたない一角が、耐えきれぬように震える。
火柱の口元が横に大きく裂ける。綻びに手をかけて、力づくで押し開く。なかなか手ごわい相手だ、これなら燃やし甲斐もあるというもの。
いよいよ。
と、探り当てた刹那、想像していなかった光景に思わず後ずさった。
細く小さい手足、煤けた頬のまるさ。
うずくまっていたのは、年端も行かぬこどもだった。
歴戦の魔法使いの目ですら欺く魔除けの術は、明らかにこの子どもから発していた。世にも珍しい光の素質、しかしこれでは、あまりにも幼い。
気を失っているようだが、その力はいまだにこの手を押し返そうとしてくる。発動したはいいが制御できずにいるのだ。分不相応な力の行使に、かれの精気は今にも尽きようとしている。
風前の灯火。
失ったはずの心が、ぎりりと引き絞られるような心地がした。
ちいさな身体に火の粉を送り込んで、まず魔力の流出経路を焼き切った。術が解け、押し込められていた闇が霧散する。こどもの口からわずかに吐息がもれた。
解放していた炎をすっかり身のうちにおさめ、しゃがみこんでこどもの顔をまじまじと見た。明るい栗色の髪に小さな鼻、どこにでもいる、やせっぽちのこどもだ。
いままでさんざん焼き殺してきた大勢の人間とおなじ、ただのこども。
しかし、あまりにがらんどうなこどもだった。火の粉で探ったときにも驚くほど手応えがなかった。生き物ならば、異物が入り込んでくれば必死で抵抗するもの。それが、まるでどんな運命も受け入れるかのような無抵抗。
これだけ頑強な殻をこさえておいて、ひどく矛盾している。
体内に残した火の粉が、しばらくは命をつなぐだろう。ぐにゃりとやわらかい身体を肩に担いで立ち上がる。
久しぶりに触れた己以外の体温が、ひやりとして心地いい。その温度差に、今に炎そのものに成り果てようとしていた己を知る。
魔法使いイグニスは、これきり戦の表舞台から姿を消した。