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名も無き冒険の話

シアワセモノマニア/青波零也

名も無き冒険の話

 サバト、という言葉がある。
 日本語で「魔宴」と訳されるそれは、魔女たちの集会、特に悪魔崇拝の儀式であるとされ、魔女狩りの異端審問官によって激しく弾圧された歴史がある。
 とはいえ、我々の歴史はそれらの集会、また悪魔を崇拝する魔女それ自体がほとんど現実のものではなかった、ということが語られて久しい。故意に語られるありもしない話、もしくは想像の産物。
 結局のところ、魔女狩りとは、当時の無知や不寛容によって生み出された負の歴史である、それが現代における認識だ。
 ……とまあ、それはあくまでも『こちら側』の話。
 これが『異界』となれば話は別、ということを、私は――そしてディスプレイの向こうのXは、今まさに思い知っているところなのであった。
「あの、」
 Xが口を開く。研究室のスピーカーから響くのは、彼には珍しい、明らかな戸惑いを交えた声。
「ここは、どこですか」
 うっすらとした煙が立ちこめる中、あちこちの燭台に飾られた蝋燭の火に照らされることでXの視界を映すディスプレイに映し出されたのは、それなりの広さのある部屋であったが。
「どうして、皆さん、こちらを見てるんですか」
 そう、今、Xは無数の視線にさらされていたのだった。
 薄暗く煙たい部屋を埋めているのは、それこそおとぎ話に登場するような姿をした「魔女」たちだった。
 子供のように見えるものもいれば、絵に描いたような老いた魔女もいる。中には男性的な姿のものもいるが、『こちら側』でも「魔女」という言葉は時により性別を問わないこともある、と考えると驚くには値しないか。手に杖を持ったもの、箒を持ったもの、動物を連れたもの。それぞれ姿形は異なるが、誰もが不思議と同じような気配を持っていることが、ただ観測しているだけの私にもわかる。
 とにかく、私の目から見る限り「魔女」としか言いようがない者たちが集い、部屋の中心に描かれたおどろおどろしい魔法陣と、その上に立ち尽くすXを見つめているのだ。サバトのただ中に迷い込んだ、としか思えないこの状況には、数多の『異界』を垣間見てきたXとて戸惑ってしかるべきである。
 しかも、困惑の言葉に対する返事はなく、ただ、虫の羽音じみた言葉にならないざわめきと、不躾な視線だけがXに向けられる。これにはXもどうしていいのかわからなかったのだろう、ぐるりと辺りを見渡して、「あの」ともう一度低い声で呟きかけた、その時。
「あっ、ごめんごめん!」
 この場の空気に全く似つかわしくない、明るい声が響く。
 Xの視線が声の聞こえてきた方へと向けられると、魔女たちをかき分けるように近づいてくる黒いとんがり帽子の先端が見えた。やがて、魔女たちの群れの中から大股に歩み出た、帽子の持ち主がはっきりとXの目に映される。
「こんにちは、旅人さん! ごめんね、急に呼びつけたりして」
 そう言ってとんがり帽子の鍔を持ち上げたのは、体のラインに沿う黒いドレスを身に纏った、若い女性の姿をした魔女であり。
「こんにちは。……お久しぶり、です」
 X――そして、彼の視点を借りて『異界』を観測する我々にとっては、見慣れた顔でもあった。
 
     *   *   *
 
 ――『異界』。
 ここではないいずこか、此岸と彼岸、この世とあの世、もしくは、いくつも存在し得るといわれる平行世界。それが「発見」されたのはそう最近のことではない。昔から「神隠し」と呼ばれる現象は存在しており、それが『異界』への扉をくぐる行為だということは一部の人間の間では常識とされていた。
 だが、『異界』が我々を招くことはあれど、『異界』に対してこちらからアプローチする手段は長らく謎に包まれていた。
 そのアプローチを、ごく限定的ながらも可能としたのが我々のプロジェクトだ。人間の意識をこの世界に近しい『異界』と接続し、その中に『潜航』する技術を手にした我々は、『異界』の探査を開始した。
 もちろん『異界』では何が起こるかわからない。向こう側で理不尽な死を迎える可能性も零とは言えない。故に、接続者のサンプルとして秘密裏に選ばれたのが、刑の執行を待つ死刑囚Xであった。
 彼は詳細をほとんど聞くこともなく、我々のプロジェクトへの参加を承諾した。その心理は私にはわからないが、Xは問題なく『異界』の探査をこなしている。
 寝台に横たわる肉体を残して、Xの意識は『異界』に『潜航』する。Xの視覚は私の前にあるディスプレイに、聴覚は横に設置されたスピーカーに繋がっている。肉体と意識とを繋ぐ命綱を頼りにたった一人で『潜航』するXの感覚を受け取ることで、私たちは『異界』を知る。
 そして、Xを使った『異界』への『潜航』を繰り返していくにつれて、一つ、確信できたことがある。
 物質をそのまま『異界』に送り込む技術を持たず、極めて制限の多い実験を行う我々に対し、散歩のような気軽さで世界と世界の間を行き来する者が存在する、ということ。
 その、自在に世界を渡る者の一人が、Xを「旅人さん」と呼ばわる、未だ名も知らぬこのとんがり帽子の魔女だった。
 ある『異界』で出会ってから、彼女は何度もXの前に現れ、時に『異界』で惑うXを助け、時にはXに助けられることもあり、持ちつ持たれつの関係を築いている。
 無数に存在するはずの『異界』で複数回顔を合わせる、というのも極めて稀有なことのように思われるが、彼女に言わせてみると『縁ができるというのは、そういうこと』ということらしい。彼女のような魔女は、縁のような、目に見えない繋がりを伝って旅するものなのだ、と。
 その言葉が真に意味するところを理解できたわけではないが、どうも、彼女には彼女なりのルールが存在しているようだった。もしかすると、「気軽に世界を行き来している」というのも私の主観に過ぎず、彼女もまた、何かしらの制限の中で『異界』を巡っているのかもしれない。それでも、我々のやり方よりはよっぽど自在に見えるわけだが。
 ともあれ、とんがり帽子の魔女は、Xの言葉にぱっと笑顔を浮かべる。
「お久しぶり。びっくりしちゃったかな、説明もなしにこんな場所に呼び出されても困っちゃうよね」
「呼び出された……?」
「ああ、旅人さんには『呼ばれた』って意識はないか。旅人さん越しにこっちを見てる人たちなら、わかるかもだけど」
 ね、と魔女は小首を傾げてみせる。それは、Xに向けたものではなく、Xの目と耳を使って『異界』を観測している我々に向けたものだとわかり、ぞっとする。彼女には一体何が見えているのだろう。Xの目に見えているものしか観測できない私には、我々と変わらぬ人間にしか見えないのに、ぱっちりと開かれた両眼は明らかに私とは違う世界を見ている。
 そして、彼女の言うとおり、今回の『潜航』にはイレギュラーが発生していた。
 Xの意識を『異界』に送り込むための潜航装置がエラーを吐いたのだ。『潜航』後の意識のトレースは問題なくできている。意識体の実体化プロセスも正常値。しかし、目標としていたはずの『異界』とはまるで異なる座標を指し示したログに、装置のコンソールを見つめていた我々は顔を見合わせたものだった。今までも時折軽微なエラーは発生していたが、このようなエラーは初めてだ。
 とはいえ、エラーがあったという事実を我々がXに伝えることはできない。ひとたび『異界』へ『潜航』してしまえば、我々の声はXには届かない。我々が『異界』のXに対してできることは、唯一、Xの肉体と意識とを繋ぐ命綱を引き上げることだけだ。
 そのようなこちら側の制限を、この魔女はどうもある程度は理解してくれているらしい。Xに言葉を伝えられない私に代わって、あっけらかんとした口調で言う。
「実は、別の世界に向かうはずだった旅人さんの道筋を、ちょーっとだけ弄って、この場所に繋げたの。そういう魔法が得意な友達がいてね」
 これこれ、と魔女がヒールを履いた足で、床に描かれた魔法陣を示す。もちろん、この陣がどのような力を秘めているのか、Xの視界だけではわかりようがない。ただ、魔女の言葉が正しければ、一種の「召喚」の術式なのかもしれない。別の世界から悪魔を呼ぶ手続きのようなものだとしたら、何とも本格的なサバトではないか。
 ただし、実際に呼び出されたのは、いがぐり頭をした、冴えない顔の中年男性なわけだが。
「どうして、そんなことを?」
 Xの問いはもっともだ。召喚の儀式には、それだけの理由がつきものだ。呼び出した悪魔を従わせ、その力を借りるなどといったように。だが、Xは何の変哲もない人間に過ぎない。連続殺人犯の死刑囚という肩書だって「人間の域」を出ないといえばそれまでだ。
 しかし、Xの疑問符に対し、魔女は「そりゃあもう」と胸を張って言うのだ。
「旅人さんのお話を、聞かせてもらうためよ」
「……お話、ですか?」
「そう、仲間内で旅人さんの話をしてたら、『是非とも旅の話を聞きたい』ってことになって。なら、みんなが集まってるときに、旅人さんから直接話を聞いた方が早くない? ってことで、私たち魔女の集会にご招待したってわけ」
「しかし、話と言っても、何を話せばよいのでしょう」
 Xは改めてぐるりとこちらを見つめる魔女たちの顔を見渡す。なるほど、よくよく見れば彼らの目はぎらぎらと輝いているようにも見える。Xという存在に対する好奇に、それから、Xが経験してきた「旅」に対する興味に。
「難しく考えなくていいのよ。旅人さんの旅について、聞かせてほしいの。どこに行ったのか。どんなことが起こったのか。何と出会ったのか。旅人さんが、どんな冒険をしてきたのか」
「しかし、ここにいる皆さんも、世界を渡れるのでは? 皆さんにとって、目新しいことを、話せるとは、思いませんが」
 少なくとも、目の前のとんがり帽子の魔女は、世界を渡る者だ。その上で、我々は魔女と呼ばれる者たちは多かれ少なかれ『異界』の存在を知り、世界と世界の間を飛び越えることのできる存在だと認識している。それこそ、Xよりずっと多くの世界を旅していてもおかしくはない、と思うのだが。
 しかし、「そうでもないのよ」ととんがり帽子の魔女は首を振る。
「『できる』と『やる』の間にはでっかい山があるってこと。魔女なんて、ほとんどが引きこもりで、自分の好きなことしかしてないからね」
 ――でも、みんな、「知りたい」って気持ちだけは人一倍でね。
 Xの視界を映すディスプレイの中で、魔女は紅を引いた唇の端を持ち上げて、片目を瞑ってみせる。
「魔女でもない身で、数多の世界を巡ってきた冒険家。そんな旅人さんの『冒険の思い出』は、そりゃあとびっきりの楽しみってわけ。ね、お願いできるかしら?」
 魔女の笑顔は、邪気の欠片もない、晴れやかなものだった。同時に、Xが自分の「お願い」を蹴るとは微塵も思っていない様子であるあたり、どうやら、彼女はよくよくXのことを理解しているらしい。
 何せ、Xは「お願い」には極端に弱い。頼まれたものを何一つ断れない、そういう人種なのだ。
「……話すのは、下手、ですよ」
「いいのよ。旅人さんの言葉、っていうのが大事なんだから」
 そうですか、と言ってXはしばし黙り込む。
 言葉を探すための沈黙であることは、私にも伝わってきた。彼はごくごく素直に、とんがり帽子の魔女の要請に応えようとしている。辺りを埋め尽くす魔女たちの期待の視線に、応えようとしている。
 これには、私も俄然興味が湧いてきた。今までXの視覚と聴覚を借りて『異界』を観測してきたが、実際に『異界』を旅しているX本人がその記憶をどう語るのか。どの『異界』の何について語り、それをどう評価するのか。普段から言葉少ななXの主観を知る最高の機会ではないか。
 さて、彼は何を語るのだろうか。鏡の『異界』での攻防? 夕暮れ時の百鬼夜行? 死体が蠢く町での出来事? 異形の獣に腕を噛み切られた話? はたまた怪獣映画の一シーンに迷い込んだ時のことだろうか?
 思えば、『こちら側』に繋がる命綱ひとつだけを頼みに、随分と冒険を重ねてきたものだ。
 そして、これからも、きっと――。
 
「そうですね。……これは、私が、ある『異界』に潜った時のことですが」

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​作者

​自己紹介

シアワセモノマニア

青波零也

インターネットの片隅で、マイペースに幸せな物語を綴るアザラシです。ファンタジーのようなSFのようなふわふわしたお話を書きます。現在は異世界に送り込まれるおじさん「X」と、研究室から彼を観測する「私」の物語『無名夜行』シリーズをのんびり書いています。



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