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ようこそ、冒険屋へ

UROKO/三谷銀屋

ようこそ、冒険屋へ

「いらっしゃいませ。ようこそ、冒険屋へ! これから始まる冒険に持って行かれる装備をひとつだけ選んでご購入ください」
 僕が店に踏み入れるなり、色が白くて黒めがちの女性店員が目の前に立ち、淀みない口調で高らかにそう言った。
 店の中はぎらぎらと明るい光に満ちていて、高級なブティックのような雰囲気が漂っている。「冒険屋」という牧歌的でいささか幼稚な店名は、どう考えても似つかわしくはない。
 しかし、明るすぎる照明の下、棚の上に整然と並べられた品物をひとつずつ見ていけば、少なくともこの店は普通のブティックや雑貨店等では無いということはすぐに分かる。
 生地のところどころが革紐で装飾された民族風の服や中世騎士が着るような鎧、堅牢な鉄製の兜、踵の部分に羽の生えた革靴、様々な大きさの剣、弓矢、何かは分からないが瓶詰めの薬品、イモリの黒焼き、薬草……。そういった、まさに「冒険らしいもの」の他にも、ボールペン、コーヒーカップ、鍋、絆創膏、リコーダ、急須、ガムテープ、眼鏡等、何の変哲も無いただの日用品までもが仰々しくも堂々と陳列されている。
 そわそわする気持ちで品物を一個一個吟味した。僕はこれから冒険に出るのだ、と改めて思う。 
 だがしかし、そもそもなぜ冒険に出なくてはいけないのか……それは実のところ僕にも分からない。そして、なぜ僕はこの店に来てしまったのか……その理由もまるで頭に靄がかかったように思い出すことができない。でも理由は分からなくてもとにかく僕は冒険に出なくてはいけない。きっとそれは運命なのだ。
 冒険。その言葉から連想されるものは、頼りになる仲間、凶悪な敵との戦い、そして、美しい姫君を救い出すための勇者の旅……等々。大変ありふれてはいるが、僕の抱く「冒険」のイメージはせいぜいそんなものだ。
 僕は陳列棚の前を行ったり来たりして迷った挙げ句、一本の傘を手に取った。紺色の何の変哲も無い傘。それを買うことにした。なんとなくこれから行く先で雨が降りそうな予感がしたから。
「良いものを選ばれましたね」
 女性店員がにっこりと微笑む。
 会計をしながら、ふと、彼女とは前にどこかで会った事があるような気がした。しかし、それがどこの誰だったのか、やはりどうしても思い出せない。
「それではこちらに……。お客様にはこれより冒険の旅に出ていただきます」
 案内されるまま僕は傘を胸に抱え、女性店員の後に従って歩き出す。
 導かれた先にあったのは、妙に薄暗く、陰気な雰囲気に包まれた階段だった。
「いってらっしゃいませ」
 女性店員は僕を前に通すためにすっと体を横に引き、斜め三十度の角度で美しいお辞儀をした。
 まさかこの階段を上ることが「冒険」だというのか?
 僕は戸惑った。しかし、今更戻るわけにはいかない。おそるおそる階段に足をかけて、五段ほど上ったところで不安に駆られて後ろを振り返った。
 しかし、そこにはもう誰もいない。

 僕は階段を上る。上へ、上へと……。だが、いくら上ったところで冒険らしいことはいつまでも何も起こらない。しばらくはただ静かで寂しく暗い階段を一人で上っているだけだった。
 しかし、ぱたぱたぱた、と背後から不意に音が聞こえた。思わず振り返る。誰もいない。また前を向いて歩き出す。
 ぱたぱたぱた……。
 再び振り返る。やはり何も……いた。僕の足下に。あまりにも小さすぎてすぐには気がつけなかったのだ。
 針のように細かな毛で覆われた短い手足、ヨレヨレの古びた服、つやつやと光を反射する真っ黒でまん丸な二つの目、前に大きく突き出した鼻、耳まで裂けた大きな口、そして顔の横に突き出した尖った耳……。
 犬のぬいぐるみだ。ぬいぐるみがひょこひょこと跳ねるように歩き、僕の後ろを付いてきているのだった。
 背中に冷たいものが走った。このぬいぐるみには見覚えがある。僕が幼少の頃から小学生にかけて大事に持っていたぬいぐるみにそっくりだ。
 僕は急に居心地が悪い気分になる。
「もう小学生なのにぬいぐるみ遊びしてるなんて変だよ」
 頭の中にあどけなく可愛らしい声が反響していた。
 小学生の頃、同じクラスの女子が言った言葉だ。
 ふわっとした栗色の髪に、笑うときゅっと細くなる目。ぷっくりと血色の良い頬。
 僕は彼女の事がほんのちょっと……いや、結構、すごく、好きだったと思う。
 あれは夕日が綺麗な放課後の公園での事。いつもなら僕は自分の大切なぬいぐるみを外に持って行ったりはしない。けれど、その日は夕焼けがそれはそれは美しく、僕は大切な友達に真っ赤に染まった茜空を見せてやりたくて、つい彼を抱えて公園まで足を伸ばしたのだった。
 そこに彼女がいた。クラスの他の女子達と一緒に遊んでいたのだ。
 そして、彼女は僕を見て「ぬいぐるみ遊びなんて変」と言ってクスクスと可笑しそうに笑ったのだった。
 彼女には僕を傷つける意図はなかったのだろう。けれど、僕は公園から帰った後すぐにぬいぐるみを押し入れに仕舞い、そのまま二度と取り出して遊ぶことはなくなった。
 そのぬいぐるみにそっくりな何かが、今、僕の後をとことこと付いてきている。
――どうしよう。
 僕は混乱した。
 なぜ僕の後を追ってくるのだろう? 大切な友達だと言いながらあの日以来相手にしてやらなくなってしまった事を恨んでいるのか。
 途方に暮れていたら、上の方から突然「ゲコッ」と濁った音が響いた。
 階段の先を見上げると緑色の巨大な蛙がこちらに向かってよちよち降りてくるところだった。階段の幅を全て埋め尽くすほどでかい。そして、その顔は蛙のようでいて蛙でない。人の顔をした人面蛙だ。しかもそれは僕がよく知っている、誰よりも慣れ親しんだ顔だった。
 小さく丸い目に、横幅の大きい口。
 まさしく僕自身の顔だ。
「カエル」。それが小学校でつけられた僕のあだ名だったのを思い出す。
 蛙の僕は湿った皮膚をぷるぷる震わせながらだんだんとこちらに迫ってくる。真っ黒で虚ろな目で人間の僕をじっと見つめていたが、ある程度、近づいたところで大きな口をパカッと開いた。でろっとしたピンクの舌が発射される。
――食べられる……!
 僕は咄嗟に目を閉じた。しかし、僕の体が蛙の僕の舌の粘液に絡め取られることはなかった。
 おそるおそる目を開ける。蛙の大きくてねっとりとした口の中に犬のぬいぐるみが呑み込まれるところが見えた。身代わりになってくれたのだ。
 僕は咄嗟に手に持った傘の先を蛙の僕に向かって突き出した。傘が蛙の顔面に食い込む。ぐにゅっとした感触が手に伝わった。蛙はぐえぐえっと苦しげな声を出す。自分の顔をした蛙を痛めつけるのは正直気色が悪かったが、僕はそれでも手の力を緩めず、さらにグゥッと傘の先端を蛙に押しつけた。
 パン……ッ!
 破裂音が響き渡った。蛙の顔に穴が開き、体が弾け飛んだのだ。
 驚いてたじろいたが、気がつけば、いつの間にか犬のぬいぐるみも僕の顔をした蛙もどこにもいない。
 一体、今のは何なんだろう?
 僕は呆然とその場に佇んだまま首をひねる。幻を見ていたのだろうか?
 そして、蛙と犬のぬいぐるみの幻影が消え去ったその場所には、またもうひとつ、新たな幻が佇んでいた。
 ふわっとした栗色の髪にぷっくりと血色の良い頬。色が白くて黒目がち。
 そこにいたのは初恋の女の子、あるいは、冒険屋の店員さん、あるいは、勇者の助けを待つ姫君。
「ありがとう……魔物を倒してくれて」
 彼女は潤んだ目を僕に向けた。
「私はずっとこの建物に囚われていたの。お願い……私を屋上まで連れて行って」
 彼女は震える声で僕に懇願する。
 僕は彼女の手を取る。彼女は微笑む。僕も笑い返す。僕らは並んで階段を上り始めた。
 行く手からはザアザアと水の音がする。
 ああ、これは雨の音だ、と僕は思う。
 初恋の女の子とは小学校だけでなく、中学、高校も同じ学校だった。高校生だった頃のある雨の日の放課後、僕は彼女と一度だけ相合傘で帰ったことがあるのだ。
「傘、忘れちゃったの」
 僕の前でそう言った彼女の言葉の裏には、僕が期待したような感情は何もなかったのかもしれない。ただ並んだ肩が微かに触れあった温かさと、反対の肩が雨に濡れる冷たさだけを覚えている。
 今、僕と彼女は寄り添いながら階段を一歩ずつ昇っていた。そして無限に続くかに思えていた階段がついに途切れた。その先には水のカーテンが垂れ下がっている。天井に渡されたパイプから大量の水が滴り落ちているのだ。これもこの建物に仕掛けられた「冒険」のアトラクション的演出のひとつなのだろうか?
 僕は傘を開いた。彼女と一緒に泡立つ水のカーテンをくぐり抜ける。あの日と同じように彼女の髪に触れた僕の肩は温かく、もう片側の肩は水を被って冷たかった。
 じゃぼじゃぼじゃぼ。
 二人の四本の足が床の上に溢れた水たまりを蹴立てて進む。水の障壁を抜ける。
 目の前には眩しい青空が広がっている。
 ついに屋上に出たのだ。
 蒼天には美しい虹が弧を描いていた。
 お姫様。貴方を救った勇者は僕です。プリンセス。さぁ僕と一緒に……。
「ありがとう、勇者様。これで私は愛しい王子様と結婚できます」
 純白のウェディングドレスが翻る。
 目の前で彼女の手を取って微笑んでいたのは僕ではなかった。

 おめでとう。
 おめでとう。
 おめでとう。

 拍手喝采。 
 青空の下、姫と王子は祝福の声に囲まれている。
 新郎新婦は虹色に光る階段を上る。微笑みながら天高く昇っていく。
「待ってくれ……!」
 勇者だけど王子ではなかった僕は二人を追いかける。虹の階段に足をかけた。駆け上ろうとする。しかし、足は空を蹴った。
 僕は屋上から落下する。下へ、下へ。風の音が耳元でごうごうと鳴る。
 咄嗟に手に持った傘を開いた。パラシュートみたいに傘は空気を孕み、上手いこと気流に乗る。僕はふわふわと流されながら地上に向かって落ちていく。

 おめでとう。
 おめでとう。
 おめでとう。

 遙か頭上で祝福の声と拍手の音がまだ響いていて、虹の階段の上では新郎新婦がにこやかに微笑んでいる。

 そこで目が覚めた。
 朝の光が顔を撫でる。眩しい。
 体中が痛い。頭も痛い。
 スーツの裾も袖もぐっしょり濡れている。
 一体ここはどこだろう。重い頭を巡らして見渡してみる。
 自分が公園のベンチに座ったまま一晩眠っていたのだ、という事実に気がつくまで十数秒を要した。

 記憶が徐々に蘇ってくる。
 僕は昨日、初恋の彼女の結婚式に参列したのだった。数多くの友人の一人として。
 どうにもやりきれなくなって二次会で飲み過ぎて……そして、ふらふらと歩く帰り道、雨が降ってきて、コンビニで傘を買い……そこからは記憶がない。
 紺色の傘は頭上で開いた状態で僕の肩の上に乗っている。だから頭や肩は辛うじて濡れていない。
 僕は二日酔いの頭を抱えたまま目をしばしばと瞬かせる。
 朝露にしっとりと濡れたブランコ、鉄棒、滑り台、シーソー……。そんな懐かしいもの達が視界の中で揺れている。
 そうだ。ここは、小学生の時に彼女に「ぬいぐるみ遊びなんて変」と言われた、あの公園だ。
 僕はため息を吐く。
 実は小学校に上がるよりももっと前……僕と彼女はこの公園でたまたま一回だけ一緒に遊んだことがある。小学校で同じクラスになった時には、彼女はすっかり忘れていたけれど。
 遊んだのは他愛の無い「冒険ごっこ」。僕が勇者で、お供は犬のぬいぐるみ。そして、あの子の役はお姫様……ではなく「冒険屋さん」だった。
 そこらへんで拾ったボールや木の枝やおもちゃを地面に並べて彼女は笑顔でこう言った。
「いらっしゃいませ。ようこそ、ぼうけんやへ!」と……。
 あの時の彼女は僕のぬいぐるみとも仲良く遊んでくれていたのだ。
 懐かしいような塩辛いような思い出に浸りながら僕は苦笑した。
 傘を片手にのろのろと立ち上がる。
 見上げれば空にはうっすらと淡い虹がかかっていた。
 帰ろう。
 僕は妙にすっきりした気分で、公園の入り口の小さな階段を上りかけた。
 しかし、ふと足を止めた。
 誰かの視線を感じたからだ。
 振り返る。
 そこには一匹の緑色の蛙がいた。
 蛙は僕を見上げて一声ゲコッと暢気に鳴いた。

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​自己紹介

UROKO

三谷銀屋

不思議なはなしや幻想的なはなしを書きたいと思い、試行錯誤しています。最近は自分の書いているもののジャンルがよくわからなくなってきて順調に迷子しています。



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