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夜見の散歩と家出少年

名も無き堂/幻ノ月音

夜見の散歩と家出少年

 人の輪郭がおぼろげになる暮れ合いの時間、灰のような煤けた雲が広がり、その裏側から夕月夜が弱々しく見え隠れしている。
 バイトから帰るなり、母から大事な話があると言われた俺は、いつもの小言だろうと、ただいまもそぞろに、「ちょっと出かけて来る」と言って、すぐに家を出た。
 勉学よりもバイトに明け暮れる俺を心配しているのだろう。もしくは自立して一人暮らしをしろとでも言われるのかもしれない。それとも病気?いやいやあんなに元気なのに、そんなはずはない、と思いたい。でも、あんなに真剣な母の顔を見たのは久しぶりだった。俺が小学生のときに父が亡くなって以来だろうか。特に仲が悪いわけでもない二人だけの親子だけど、上手くやってきていたはずだ。大学まで行かせてくれた母親に感謝はしているが、働くまでの残り少ない自由時間を自分の好きに活動させてほしかった。犯罪さえ犯さなければ笑って許してくれると思ったが、小言が増え続けるのも嫌気がさす。
 コンビニに行ってくると誤魔化して、話を先伸ばしにした俺は、隣町まで自転車を走らせた。コンビニでバイトしているのに、またコンビニに行こうとしているなんて、もちろんそんなのは方便で、面倒なことから逃げる口実のこの散歩に目的なんて無い。強いて言えばイライラしがちな自分を落ち着かせるための時間稼ぎだ。
「おっと!」
 何もないはずだと思っていた曲がり角、突然の障害物に驚いた。普段から人があまり通らない小さな無人公園の入り口前。それは外灯の光が届きにくい位置にいた。俺は若さなりの反射神経で障害物を避けてキーッと自転車のブレーキを軋ませて止まった。自転車を降りた俺は、その障害物に近づいていく。その姿は、
(小さい……子ども?)
「あのー、大丈夫?」
「……」
 声をかけた相手はしゃがみ込んでおり、反応がないので大きな声を出して二度声をかけてみた。ぶつかってはいないはずだ。スマホのライトモードを点灯するとパッと二人分の範囲が明るくなる。
「えっと…こんな暗いところで何してんの?」
 返答がないので心配になる。肩をぽんっと叩くと子どもはビクッとした。驚きすぎて固まっていたようだ。なるべく優しい声音を意識して話しかける。
「こんな誰もいないとこでさ、しかも夜に一人でどうしたの?具合悪いの?」
「大丈夫です」
「いやいや、大丈夫じゃないでしょ。怪しすぎでしょ」
「怪しいのはあなたの方では?」
「俺はこの近くに住んでんの。コンビニ行くところでその途中。うーん、とりあえずお前ん家まで送るからさ。それが嫌なら、せめて明るいとこ一緒に行こ。何年生?」
「大丈夫です」
「それ聞いてもほっとけないよ。何?家出?」
「あなたには関係ありません」
「関係ないんだけど、もう出会っちゃったからさ。さすがに大人としてこのまま『はい、さようなら』なんてできるわけないじゃん。もし俺がそのまま帰って、後々男の子が行方不明です、なんてニュース見てみ?すげー夢見悪いよ」
「はぁ……」
 ため息をつかれた。小柄な男児は考えるそぶりを見せたあと、すっくと立ち、やっと俺へと顔を向けた。
 目元は一重でキツく、髪はサラサラと耳の上をすべる。服は少しダブダブのパーカーを着ていた。グレーなのでほぼ闇に溶け込んでいる。スマホのライトが心細く、いつの間にかとっぷりと夜が自分たちを包んでいるのに気づく。
 男の子は体に不釣り合いな大きなリュックを背負っていた。家出なのかと思ったのにはそれもあったし、表情をなくした顔と小さな肩の頼りなさにほっとくことができなかった。
「俺が怪しいってんなら一緒に交番行こう。この道を少し行ったところに交番があるからさ。なんか悩んでるんならお巡りさんに相談してみたら?」
(ガキをナンパして、俺なにやってんだか……)
「しつこい人ですね。仕方がない」
 うるさい俺に諦めたのか、そういって住宅の灯りがある方へと男の子は歩き出した。俺はその後ろを付いていく。だが突然男の子は立ち止まって後ろを向いた。
「やっぱりあなたが前を歩いて下さい」
「ははっ、襲わねーよ。でもまぁ怖いんならいいぜ、俺が前歩くよ。ちゃんとこのお兄ちゃんに付いて来いよ」
「行きますよ。それに怖いわけではありませんから」
「うんうん」
 明るい住宅地まではあと1キロほど、わずかな明かりだけがたよりの夜道、足音がなければもう一人いるとは思わない。厚い雲が湿った風をよこし、冷気が頬をなでる。辺りは静かだった。
「なぁ…お前名前は?俺は夜見野大助ってんだ」
 沈黙に耐えられなくなった俺は男の子の名前を聞いた。答えが返って来ない代わりに、一瞬立ち止まる素振りを見せた。俺は気になって後ろを向く。表情の薄い男の子はハッとしてまた歩き出す。それに合わせて俺もまたゆっくり自転車を引く。
「まぁ名前は別にいいけどさ、お前は見たところ小学3、4年生か?こんな真っ暗で誰もいないところにいたら危ないだろ?」
「誰にも迷惑かけていません」
 つんけんしつつも答えが帰ってきたことにホッとした。
「まぁそうだろうけど。俺と会っちゃったんだし、今回はついてなかったと思ってさ。大してコンビニに用事なかったし、俺ん家もその交番の近くなんだよ」
「本当についてないです。それどころか……」
 先を言わないことにまたチラリと後ろを振り返れば、男の子がジト目をしてこちらを向いていた。
「警戒しまくりだな。二十歳なったばかりの俺じゃ、会うなり信用しろってのは無理だろうけどさ、交番行くって言ってる奴が何かするわけないじゃん」
「信用できませんが、二人であのままあそこにいるよりはマシだと判断したまでです」
「まぁ何だっていいけどさ、その歳で家出っていうには随分な冒険心だな。高校生くらいのやつがするもんだと思ってたよ」
「家出じゃありません」 
「まぁ理由は聞かないけどさ。てか、お前のしゃべり方、なんか硬っ苦しいな。子どもらしくタメ語でいいんだぜ?なんなら俺のこと、大助って呼び捨てにしてもいいし」
「なぜです?」
「なぜって、そっちの方が楽だろ?」
「ふんっ、それは譲っているようで自分が楽な方へ誘導しているにすぎませんよ。年上でも年下でも同じです。僕は敬語が楽なんです。どうして僕があなたに合わせて汚い言葉で話さなければならないのですか?しかも初対面で」
「お、おう。スミマセンデシタ」
 自分が敬語になってしまった。しかも子どもに説教された。
「何ニヤニヤしているんですか?気持ち悪いですね」
「なんか面白い奴だなぁって思ってさ」
「おもしろい?」
「ああ、甘え下手にもほどがあるだろって」
「甘えるも何も僕は大丈夫なんです。そもそもあなたはただの『お兄さん』で十分なんですよ」
「ああ、はいはい、まぁいいけどよ」
「あなたは全然分かってない」
「分かってるよ。タメ語とか敬語とか、勉強になったわ、先生」
「いいえ、全然分かってない。それに僕はあなたの教師になったつもりはありませんが」
「まぁそう言わずに」
「……怒らないんですか?」
 少しの躊躇いのあと、少年がそう聞いてきた。
「ん?何が?」
 今度は大助が問かける。この子どもはこうやって大人を怒らせることが多いのかもしれない。
「怒らねぇよ。こちとらバイトで我が儘な客には耐性できてるよ。酔っぱらいに比べれば可愛い可愛い」
「なっ!可愛いだと!?」
(おっ、敬語じゃなくなった?)
 そう思ったが言わないでおく。
「二十歳過ぎたんだから、子どもなんだから、らしくいろってのはひでぇな話だよな。俺だっていきなり大人らしくしろって言われても何をどうしたらいいんだか。線引きをしたって簡単に人は変われないのにさ」
 少年は無言だった。それで別に構わなかった。子どもに愚痴った自分が恥ずかしいが、夜道で知らない男と歩いてくれているだけでも良しとする。そうこうしているうちに明るい道へと出た。
「んじゃ。あそこに交番あるからそっちで保護してもらいな」
「いえ、目的地が近いのでそちらに行きます」
「お?そうなの?」
 少年は無言で交番を通りすぎ、その先へと進んだ。そして二軒目の家の前で止まる。
 そこは俺の家だった。
「何?お前、俺んちになにか用なの?」
 驚いて問いかけたと同時に、玄関が開く音がした。
「大助!あんたに大事な話があるって言ったのになんで逃げるのよ!」
「ああ……わりぃわりぃ」
 言い訳をしようとしたとき、母の後ろに知らない男性が立っているのに気づいた。目はキツいものの眼鏡で幾分柔らかく見える。四十歳前後か、仕立てのよいきっちりとした黒のスーツに身を包み、シュッと立つ姿は様になっていて、自分とは違う世界の大人に感じた。こういうロマンスグレーの大人には、十年たってもなれやしないだろう。俺の視線に気づいた母は、このあと爆弾発言をした。
「この方は、小坂井信一さん。えっと実は……お母さん、この人と結婚しようと思ってます!」
「え……はぁ!?いきなりなに言ってるんだよ!」
「だから大事な話があるって言ったじゃない。今度は逃げる前に言いたかったし、結論から言っちゃうわ」
 突然の結婚宣言に呆気にとられる。大事な話ってこの事かよ!
「あっ、太一遅かったじゃないか!」
 挨拶もそこそこに、その男性は俺のすぐ後ろを見てそう言った。俺は驚き過ぎて、先ほどまで一緒にいた少年の存在を忘れていた。
「ちょっと道に迷っただけです。すみません、お父さん」
「へ?これあんたのお父さん?」
 少年はうなずく。そしてよくよく考える。俺の母とこの人が夫婦になりたいという。ということは、俺とこいつは……
「ね、あなたは名前で呼ぶ必要なんてないんですよ、『お兄さん』」
 と俺よりも悟ったような顔で言うのだった。



                           おわり

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名も無き堂

幻ノ月音

宮城県在住。読書好きが高じて小説の創作をするようになる。短編、童話、詩などジャンルは迷子中ですが苦い結末からじんわりするお話まで細々と活動中。



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