空模様
みらいかんづめ/悠紀涼矢
この場合、“ソラモヨウ”といえばここの地元民に愛されるカフェのことだ。決して都会とは言い難い地元であったとしても、テラス席というのはカフェにおいて一等地に違いない——冬でさえなければ。
(さすがに寒いんだよなぁ……)
三月の半ばとはいえ、まだまだ寒さを実感する。それなのに、どうしてテラス席なのか。まだ雪が積もることすらあるのにテラス席を開放しているのも不思議だが、そこを選ぶ神経も佑真(ゆうま)には理解できない。
冬用の厚手のコートを着込んだまま深々と溜息を吐けば、空を覆う雲と同じ色の靄が舞う。佑真は暖を求めて両手でカフェオレの入ったマグカップを包み込んだ。目の前では、なぜかこのテラス席を選んだ朝陽(あさひ)がホットコーヒーの入ったカップを持ち上げる。
自分は今きっとひどく陰鬱な表情をしているに違いない。テラス席のすぐ側の通りを歩く人が時折こちらを見てくすりと笑っているように見えるのはきっと幻覚や被害妄想などではないはずだ。なにせ、この一等地に座っているのは可愛らしいカフェにそぐわぬ三十路の男二人なのだ。店内は女性客ばかり、テラス席は自分たちだけ。この席に通されるまでに通り過ぎた店内の女子高生たちの視線が痛かったこと何の。彼女たちの視線が今なお時折こちらに向けられていることに、佑真は気付いている。
白く濁った己の呼気が佑真の視界を掠めた。
「溜息を吐くと幸せが逃げるなどと言われるが、溜息は自立神経を整えるために発せられる身体のサインらしいな」
「余計なお世話だよ」
そもそも誰が吐かせているんだ。
そんな言葉とともに佑真はカフェオレを流し込む。あっつ、と慌ててカップから口を離す。だいぶ冷ましたつもりだったが、己の猫舌はなかなか手強い。向かいでは何に憚る様子もなく朝陽が再びコーヒーを口にしている。湯気の立ち上り具合からして、あちらも佑真のものとそう変わらないはずなのに。
「お待たせいたしました」
冷たい空気をものともせぬ朗らかな声音につられて顔を上げると、笑顔とトレーを携えたウェイトレスさんがいた。そのトレーには二つのパフェが乗せられている。
「いちごのパフェでございます」
彼女はテーブルに紙製のコースターを置き、その上にゆうに高さ二十センチメートルはあるグラスを乗せる。グラスはその内側に色鮮やかな層を幾重にも重ねており、上には生クリームとアイスを積み上げ、その名に恥じぬだけの赤色を飾っている。
ごゆっくりどうぞ、という声に、この寒い場所であまりゆっくりしたくないと心の中で呟きながら佑真は向かいを見た。朝陽の前にも同じものが置かれている。
「君は本当に時々理解不能なことをしでかすよね」
「何の話だ」
佑真が何に苦言を呈したのか本当に分からなかったらしい朝陽は、目を瞬かせた。
「何で僕は君といちごパフェを食べに来ることになったのか分からないって話だよ」
「お前、いちご好きだろ?」
「好きだよ、好きだけどね」
小学校に上がる前からの見知った顔と考えれば四半世紀は一緒なのだけど、どうにも朝陽は佑真の想像の斜め上を行く。絶妙に噛み合わない会話はいつものことなので気にならない。むしろ、どうして朝陽がそういう言い方をするのか、その答えが得られたときに自分の知らなかった見地を見つけられるため、嫌いではない。
そんな佑真の心内を知らないだろう朝陽は、よかった、と呟く。
「俺は、お前の好物をいちごしか知らないなと思って」
「は?」
なんだそれ。
思わず間抜けな声が漏れる。朝陽は佑真の悪態とも取れる一言を微塵も気にした様子はなく、どこかほっとしたように小さく口角を持ち上げていた。
「僕、君に何かお礼をされるようなことあったっけ?」
「ないと思うが」
「だよね」
借りを作った覚えはないので、朝陽がわざわざ佑真の好物を選んでこんな場所に連れて来た理由が本当に分からない。もちろん貸しもない。
「お前は何か理由がないと出かけないのか」
「君と出かける理由がないだけだよ」
何度でも言うが、三十路の男二人がどうして可愛らしいカフェに設えられた寒空のテラス席で向かい合って座った上にいちごパフェなのか。店内から注がれる奇異の視線を感じているだろうに、朝陽はこの席に辿り着くまでの道のりを茨道だったとは思っていないらしい。
「理由が欲しいなら、話がしたかった、ということにでもしておけばいいだろう」
「それってデートって言うんだよ」
「それでいいならそういうことにしておけ」
「嫌だよ」
悪態をついてやったら朝陽は短く「そうか」と頷き、パフェスプーンを手に取った。いただきます、という言葉も平坦で、反応も冷ややかでほぼ無表情。それなのに朝陽がパフェを食べる姿はどこか様になる。
からかってくるのも挑発するのも冗談も分かり難いったらありゃしない。真顔で表情筋一つ動かさずにそんなことをされても、理解できるのはきっと自分だけだ。
「君の冗談はホント分かり難いよね」
「今更だな」
朝陽は淡々と告げただけで取り合わず、パフェを口に運んでいる。美味しいのかそうでないのか、その仏頂面からは推し量れない。
美味しいに決まってるだろ。美味しそうに食えよ。
いただきます。わずかに憤慨したまま佑真はパフェをすくい上げる。ふわっと軽い感触がスプーン越しに伝わり、口に入れる前から淡雪のようにそっと消えるかもしれないという期待が湧く。それだけでほんの少し気持ちが上向く。
ぱくん、と期待を込めてスプーンごと口に放り込むと、見た目以上の情報が体中を駆け巡った。半分に切ってこれでもかと並べられたいちごの下は甘さ控えめの生クリームで、その下はいちごアイスにいちごゼリーと見事ないちご尽くしだ。濃厚ないちご味は、ふんわりと消えた生クリームと合わさりしつこさを残さない。もう一口分、さらに下へと掘り下げる。マスカルポーネとクランブルで構成された層は、異なる食感の合わさり方もさることながら、甘さと塩味が絶妙なバランスだ。最下層はいちごのムースといちごソースだろう。
“ソラモヨウ”のいちごパフェ、噂に聞いていた以上だ。
「俺は、」
一番上のいちごへと戻り、今度はそのみずみずしさと甘酸っぱさを堪能する。すると、朝陽が口を開いた。
「お前が美味そうに食うのを見るのが好きなんだと思う」
——僕、君の作るご飯好きだよ。
ぽろりと手から零れ落ちそうになったスプーンを慌ててパフェの中に突き刺す。
きっと朝陽は、いつか佑真が話した言葉についてバカ正直に考えていたのだろう。佑真自身もたいそう寝ぼけていたので柄にもなく素直に朝陽の作るご飯のことを誉めてしまったけれど——実際朝陽の作るものは美味いので仕方ない。
まったく、と佑真は呟く。
無愛想なままパフェを崩しにかかっている朝陽を見ていると、佑真の目の前に白いものがふわふわと舞い降りてきた。思わず見上げると、広がる白い雲の先で西の空が赤ずんでいた。