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失せもの探し

天空交差点/氷上涼季

失せもの探し

「お願い、小春野(こはるの)くんにしか頼めなくて」
 女生徒がしゃくりあげるたび、触覚――顔の両サイドにある作為たっぷりの髪が揺れる。小春野薫(かおる)は呼び出された廊下の隅で、六月のバイト代で買うつもりの夏色新作アイシャドウのことを考えていた。
 ちょっと女装が上手いと(『できる』ではない。『上手い』と)、変わった友人がいる自分に酔いたい連中が寄ってくるから参る。例えば、小さな困り事で距離を詰めようとする女とか。
「二組の西峰(にしみね)さん、だっけ。初対面でいきなり探し物を手伝えって言われてもね。お友達とかに頼みなよ」
「ダメ! 女の子は信用できない、隠したり盗んだりするかもしれない」
 西峰は自分の強めた語気に耐えかねるように、いっそう激しく泣き始める。
「お姉ちゃんが『恋が叶うように』って誕生日にくれたものなの。今朝まであったから絶対学校で落としたはず。お願い、助けて」
「恋が、ねぇ……」
 薫は髪をかき上げようとして空振った。背中まであったロングヘアをばっさり切ったばかりで、まだ癖が抜けないのだ。気まずい手をうなじに置いて首を傾げる。
「グロスっつったっけ。どこの? 色は?」
「これ。無色」
 西峰がスマートフォンを見せてきた。金箔とドライフラワーが入った容器、何年か前に流行った海外ブランドのリッププランパーだ。
 全く気乗りはしないが、大切な人にもらったものが消えて不安な気持ちはよくわかる。画像を転送してもらい、発見したら報告する旨を約束した。
「私が探してるって他の人には言わないでね」
 と念を押して、西峰は駆け去っていった。バドミントン部に出るのだそうだ。
 薫は嘆息して、放課後の校舎を歩き始める。
 いろいろいけ好かないが、『くん』付けで呼ばれたのが一番気に食わない。完璧にメイクした薫は、思わず『小春野さん』と呼ばずにいられないほどの美少女であるはずなのに。

 一年二組を覗き込む。ちょうど杜若颯太(かきつばたそうた)が学生鞄を手にしたところだった。薫は中学からの友人を手招きで呼びつける。
「杜若、まだ残っててよかった。時間割見せてくれ」
「馬剛(まごう)が物でも落としたのか?」
 杜若は、黒々としたまっすぐな眉を寄せた。相変わらず気持ち悪いぐらい察しのいいやつだ。苦い顔で頷く。
「月子(つきこ)のじゃないけど、まぁ失せもの探しだな。ところで」
 薫は杜若を上から下まで見ながら指差した。
「お前なんで体育着なの?」
 名入りのTシャツに学年カラーのジャージ。いつもの杜若なら、制服もないこの高校にわざわざワイシャツ黒スラックスで来ているはずだ。
 杜若は黙って考え込んだ後、汚した、と短く答えた。
「いや待てって。いじめでも受けてんじゃねぇだろうな」
 入学して間もなく半月も学校を休んだ杜若は、クラスに馴染めていないようなのだ。薫の幼なじみである馬剛月子も心配している様子だった。
 しかし当の本人はどうも平然としている。
「そのことで調べたいことがある。追々説明するから、よければ同行させてくれ」
「そりゃ構わないけど」
 まぁ、長い仲だ。必要になればきちんと助けを求めてくるだろう。
 薫はぐるりと肩を回した。
「さぁて、美術部が終わる前に片付けるか。月子を待たせるわけにいかねぇからな」
 まずは一年二組だ。西峰もさんざん見たろうが、青い鳥は案外手元にいると言う。薫は服を汚したくないので前後の黒板付近を適当に眺めていく。
「おつかいで拠点周りを探索とはね。RPGのサブクエじゃねぇんだから」
「対戦車擲弾発射機……?」
 床を探す杜若のわかりづらいボケは無視。やはり何もない。
 一時間目に授業を受けたという化学室に移動した。男子生徒が三人いる。白衣はスマホ、ドクロTシャツはノートパソコン、開襟シャツは漫画と、それぞれ自由に過ごしているようだ。
 薫は三人に歩み寄っていく。
「すんません、こういうの落ちてませんでした?」
 花のホルマリン漬けに似た、リッププランパーの画像を見せた。三本の眼鏡がそろって横に揺れる。化学部は活動前に必ず部屋の清掃をするそうで、机も全て拭き上げるので見落とすはずがないとのことだった。
 薬品棚を見て回っていた杜若が振り返る。
「油は置いていますか」
「禁水性物質を保管するための鉱油がなくもないが、残念ながら見せられないよ。鍵を持っている先生が今は会議中でね」
 白衣がもったいぶった口調で答えてくれた。
 どうやら薫も杜若も用は済んだようだ。礼を言って化学室を後にする。次にどこへ行くかも考えなければならないが……。
「油って何だよ?」
 階段に歩き出しながら問いかける。実は、と杜若は眉尻を下げる。
「体育の後、脱いであったワイシャツから異臭がしたんだ。そのにおいの正体が気になってな」
 杜若の母は香道を嗜んでおり、幼い頃から付き合ってきた息子も嗅覚が鋭い。彼が判別できないとなると、日常で漂ってくる香りではないのだろう。
 杜若は両手をわなわなと震わせる。
「強烈な刺激臭だった。人工甘味料の沼から這い出た薄荷と唐辛子が絶望のあまり油をかぶって焼身自殺を図ったような」
「お前のそんな頭悪そうな例え初めて聞いたわ……」
 いつもは淡々と思い当たる成分を述べるだけなのに。
 心配になって顔を覗き込む。
「そんだけ臭けりゃ、周りも騒然としたんじゃねぇの」
「いや。俺以外は感じていないようだった」
 警察犬・杜若颯太にのみ有効な嫌がらせか。しかし杜若は長く休んでいた。嗅覚について知られる機会も、恨みを買う機会も少なかったはずだ。
 薫が腕組みしてうなると、杜若も同じポーズで訝しげな表情をしていた。
「小春野こそ、なぜ二組の生徒の化粧品を? 馬剛のではないんだろう」
「浮気の証拠押さえたみたいに言うな」
 西峰には口止めされていたが、友人と最愛の幼なじみに誤解される方が困る。薫は顛末を洗いざらい話した。杜若は腕をほどかずにため息をつく。
「西峰か。選択授業で使った教室を探すなら、音楽室か美術室だな。俺の取っている書道にはいない」
「あいつを覚えてるのか?」
「俺も探しものを手伝ったからな。入学式の後、買ってもらったばかりのスマホをどこかに置き忘れたと泣いていたんだ」
「よく失くすやつだな」
 薫は呆れて頭をかいた。
「じゃあ次は美術室だ。月子にも話を聞いてみよう」

「西峰さん? 選択美術で一緒だけど、さっき掃除したときには何もなかったよ」
 月子は絵筆とパレットを持ったまま、アンダーリムの眼鏡越しに薫を見上げた。ふわふわのショートボブもエプロンをつけたサマーニットもアースカラーのロングスカートも全部かわいい、こんなクエストなんて放り出してずっと眺めていたい。
 月子は薫の熱視線にも慣れたもので、意に介さず話を続ける。
「大事なものを落としちゃったんだね。それで元気なかったのかな? いつもなら楽しそうにしてる体育も休んで、保健室に行ってたし」
 薫は違和感に眉をひそめる。
 西峰は『バド部に出る』と言って薫に失せもの探しを押し付けていった。体育を欠席したくせに運動部には出席している?
 杜若が肩を落として戻ってきた。先生に見せてもらった油画用の油は全滅だったようだ。月子の部活を邪魔するわけにもいかないし、今はこの辺にしよう。
「ありがとう月子。また帰りにね」
「うん。見つかるといいね」
 笑顔でひらひら指先を振る月子。
 ああ、優しい。かわいい。頑張るなら本当は月子のためがいいのに。
 
 杜若が美術の先生に『落とし物ボックス』の存在を教えてもらったというので、職員室に向かった。
 投入口のついた大きなガラスの箱だ。解錠するとふたが開くらしい。ペン類などがごちゃごちゃ入っているが、目当ての品はない。
 心当たりが尽きてしまった。薫は両手を上げて伸びをする。
「しゃあねぇ、先生たちにも訊いてみるか。コスメだし没収してたりするかも」
 とはいえ職員室にはいい思い出がない。ドアを開けるのを躊躇していたら、中からゴリラ……もとい生活指導の森山先生が姿を現した。薫はとっさに宣言する。
「何もしてません!」
「何も言ってないだろう」
 先生は呆れ顔で、ジャージのポケットから細長いものを取り出した。探していたリッププランパーだ。
「お前のか? 男子更衣室に落ちていたそうだ。掃除当番の生徒が届けてくれたぞ」
「ありがとうございます」
 薫は頭を下げて受け取った。あまりこういったものを学校に持ってこないように、と短く釘を刺し先生は去っていった。薫のものではないが、真実を告げたところでどうせ狼少年だ。
「杜若。これ、中身は多分数種類の油なんだけど」
 薫はほとんど減っていない美容液を目の高さに持ち上げ、軽く揺らしてみせる。
 杜若は重々しく頷いた。
「開けてくれ」
 薫はふたを少しだけずらす。杜若が鼻を押さえて顔を背ける。
 全て繋がった。薫はスマホを手に、気乗りしない声で言った。
「行こうぜ。答え合わせだ」

 西峰はすぐ一年のフロアに上がってきた。また仮病で抜けてきたのだろう。薫の隣に立つ杜若に目を向け、整わない息で呟く。
「なんで杜若くんが……」
「探し物よりそいつが気になるか?」
 薫は光る容器を西峰の鼻先で振った。西峰は目の色を変え、礼もなしに奪おうとしてくる。薫は後ろに下がって避ける。
「どこに忘れたか目星はついてたんだな。だからオレじゃなきゃダメだったんだ。男子更衣室でコスメを落としても不自然じゃないやつじゃなきゃ」
「意味わかんない」
 西峰は低い声で吐き捨てる。薫も怯まず睨めつける。険悪な空気に、杜若が割って入った。
「訊きたいことがある、西峰。小春野が持っているものを、俺のシャツにつけたのは君か?」
「え」
 西峰の顔からさっと血の気が引く。もう答えたも同然だったのに、杜若はなおも問いかける。
「もう一度訊く。その化粧品を俺の持ち物に付着させたのは君なのか」
 沈黙が落ちた。膨れ上がった気まずさが破裂する寸前、西峰は俯くように頷いた。
「これは犯罪だ。どんな理由かは知らないが、異性の更衣室に侵入して衣服に油を染み込ませる行為に、問題がないとは決して言えない」
 杜若は躊躇なく告げる。嫌悪も嘲弄もない響き。彼の言葉はただ真剣に深刻に正しかった。
「ごめん、なさい、わたし……」
 西峰は座り込んで泣き出した。薫は見かねて杜若の肩に手を置く。
「おまじないかなんかだろ。見えないキスマークをつけると恋が叶うとか、きっとそんなんだよ。もうちょっと言い方あんだろうが」
「ごめんなさい、きらわないで……」
 背を丸める西峰に、杜若は右手を差し出す。動作と裏腹に台詞には一切の容赦がなかった。
「このことで俺は君を嫌ったりはしないが、このことに関係なく君に好意も抱かない」
「なんで……?」
「好きな人がいる」
 四月までの杜若からは考えられないほどはっきりとした言葉だった。
 彼がどうして変わったのか、薫は理由を知ってしまっている。目を伏せて西峰の前にリッププランパーを置いた。
「返すよ。他人に押し付けないで、ちゃんと自分を輝かすために使えよ」
 杜若はそれも待たずに教室を出ていく。薫は慌てて追いかけたが、沈鬱な横顔に声はかけられなかった。
 夕陽射す廊下、杜若は前を見たまま。
「小春野。俺は間違っていただろうか」
「さぁ。冷血なぐらい正しかったんじゃないか」
「冷血か」
 杜若は似合わないほど皮肉に笑った。
「血の通っているうちに認めるべきことだったよな」
 また仏頂面に戻る杜若。薫は黙ってその背を小突いた。それが限界だった。
 杜若の想い人は一月前に死んだ。彼女も杜若を好きだった。彼が勇気を持って踏み出していれば、この学校でまだ笑い合えていたのかもしれなかった。
 忘れろとも悔やむなとも言えるはずがない。友人だった彼女を救えなかったのは薫も同じだ。探しても探しても、もう二度と取り返せない失せもの。
「ま、頼まれごとは片付いたんだ。月子を迎えに行って、三人で帰ろう」
 薫は無理に明るい声で笑う。杜若は仕様のないものを愛おしむ顔で肯った。
 何を失くしても、冷酷に情け深く人生は続く。

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​作者

​自己紹介

天空交差点

氷上涼季

人生をこじらせた青少年の小説をたくさん書いています。
青さ・苦み・希望、三拍子そろった作品がお好きな方はぜひどうぞ。



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