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往古来今

とりあえずいっぴん。/文:たこわさ/絵:とうふ

往古来今

 太陽が沈んだ後の宵闇に、様々な形を模した提灯が店先に彩りを添える。眼前の夜市は、夏祭りと中国の元宵節が入り混ざったような怪しげな雰囲気を漂わせ、所狭しと店が立ち並んでいた。
「留立くん、僕はこっちの通路の店舗に行くから。何かあればすぐ連絡してね」
 自分の先輩で直属の上司の清崎純が、少し心配そうにこちらを見ている。
「わかりました」
 安心させるべく略式の敬礼で応えると、清崎はすぐに雑踏の中に消えていった。
 警察庁異人課というオカルト部署に配属されて数ヶ月、留立は異人という摩訶不思議な存在が絡む事件を担当していた。出会う異人は魑魅魍魎、神様仏様、宇宙から飛来するモノなどなど。気を抜けば死と隣り合わせの事件も多く、新人の留立が未だ五体満足を保てているのは、ひとえに清崎のおかげだ。
 今日は夜市に買い出しにきたが、清崎が危険物品の購入に対し、こちらは自分用の呪術道具の購入ときたもんだ。
(もうちょっと、役に立ちたいんだけどな……)
 清崎純。十年もの間、異質な部署でたった一人で業務を回していた超優秀な男。周囲からは冷徹と恐れられているが、留立からすると温和なグルメ好きにしか見えない。
 留立が実家に無理に押し付けられた借金で鬱屈していたら、原因を見定めてすべて精算してくれた。はたまた、危険な現場では、自分の命を顧みずに庇ってくれたりと、異常な献身さもある。
 理由を問うても、そうすべきだと思ったから、という曖昧な言葉だけが返ってくるのみで、多くを語らない。
 上司からの多大な恩に報いたいと気は急くものの、自分ができることは『ただのおつかい』なのが実に滑稽だ。
「なんでも揃う不思議な夜市って言ってたけど、ほんとかな?」
 留立が改めて周囲を見回すと、桃色の蓮の形の提灯、赤に染まる夜空のもと、活気あふれるバラエティ豊かな店主と客で溢れかえっていた。
 観光気分で周囲を見ながら歩いていると、すれ違いざまに誰かと肩がぶつかってしまう。留立が反射的に謝罪すると、相手の顔には目も鼻もなく。つまり、のっぺらぼうだった。しかも顔も手も緑色だ。留立がかろうじて悲鳴を飲み込むと、カンカンと金属音が鳴り響く。
「いらはい、いらはい、活きのいい冥王ワタリガニ、入荷したてヨ!」
 お玉で鍋を叩いて呼び込みをしているのは、人語を操る巨大なハツカネズミだ。そこに、白い服を身に纏ったシェフらしき男が、鎖でぐるぐるに巻きつけた大きな鍋を抱えたまま、店に飛び込んだ。
「冥王ワタリガニ、二匹ください」
「その鎖チョと細いヨ。此処で逃したら、アナタ処罰されるヨ!」
「右腕が機械になったんで、多少暴れても大丈夫です」
 バラエティー豊かな店員と客同士で、よく分からない会話が成立している。
「これが、宵月(しょうげつ)夜市……」
 留立は、夜市のパワーに圧倒されていたが、業務中であることを思い出し、気を引き締め直した。
 この不思議な夜市は、遥か昔に中国から渡来した徐福という男が、不老不死の薬を求めた末に始めたとされ、現在は子孫の徐商会が出店側を管理しており、年に数回開催されるのだという。場所はなんと時空の狭間にあり、手順さえ踏めば世界中のどこからでもアクセス可能で、安全性を度外視すれば、過去や未来の夜市にも行けるのだとか。
「た、助けてくれぇ! だ、だれか、頼む!」
 男性の悲痛な叫び声で、留立が反射的に目を向けると、やつれた男性が鉄格子の中に入れられているではないか。よく見ると、鉄格子の前に値札も置いてある。あれも『商品』なのだろう。
 異人課は徐商会と宵月夜市の契約を交わしており、表向きは治安維持のため監査を行う代わりに、警らの人員を提供している。が、裏では徐商会からいわゆる金色のお菓子を受け取り、取り扱う商品についてはある程度黙認しているらしい。
 よって、こちらが対応するのは、客人同士のトラブルが中心となる。
(あの男、何やらかして商品になっちゃったんだろ)
 留立はその男から視線を外し、胸ポケットから買い物用メモを取り出した。呪術用の筆と硯。まるで書道だが、異人に対抗するための呪符を作るために必要なのだとか。
 そもそも、硯が夜市で売られているものなのかと探していると、遠目に硯の文字が見える。その店の前に来てみると、黒い布ですっぽりと覆われた区切られたブースが三つあり、うち一つには既に誰かが入っているようだ。はて、硯は何処にと思っていると、背後から突然声を掛けられる。
「あなたもお試しになりますか? 一回一万円です」
 留立が驚いて振り返ると、いかにも怪しげな風貌の男が胡散臭い笑みを浮かべていた。真っ黒なローブに全身を身を包み、胸元にはト音記号のブローチが銀色の輝きを放っている。
「え、な、何をですか?」
 戸惑う留立に、男はぐいと顔を寄せてきた。
「知りたいんでしょ。誰かの秘密を」
 男は留立の背中を促すように押して、空いているブースの前に立たせた。
「この中に入って、秘密を知りたい人物を頭に思い描いてください。さすれば、貴方の望むものが手に入るでしょう」
 望むもの。それ即ち、清崎純の秘密。怪しげな男が放った言葉の誘惑に、留立は抗えなかった。
 黒い布の内側には、万華鏡と思しきものがひとつ、簡素なテーブルの上に置かれていた。所詮子ども騙しか。留立は大きく落胆しつつ、大金を払ったのだからと万華鏡を覗き込む。
 すると、なんとも奇妙なものが見えた。
 どこかの科学研究所のような雰囲気の部屋で、一冊の本が置かれている。文字は言語の判別がつかない。不思議なことに、視界は左半分が欠けていた。
(万華鏡じゃない? 肌色と隙間から光……左手、か?)
 右手はペンを握っており、ノートに日本語訳を書き留めているようだ。速記のため、内容は朧げにしか分からない。
 一体これは何を見せられているのだろう。不安になってきた留立の耳に、どこかから、うめき声が聞こえてくる。
『ぐ、まだ、もう少し……』
 その声の主は、清崎だ。間違いない。
(これが、先輩の秘密……!?)
 動揺する留立は、見てしまった。視界が徐々にぼやけ、赤黒く染まって暗転し、そして、塞いでいた左手が外れた瞬間、ノートの上に落ちた眼球が、ほぼ溶解した其れが、己を、見てい、る。
「留立くん、こんなところで油売ってちゃ駄目だよ」
 襟首を引っ張られ、ブースから現実の世界に引き戻された。地べたに尻餅をついた留立が見上げると、清崎が子どもを叱るような顔でこちらを見ていた。その目がドロドロに溶けた眼球に重なり、留立は喉の奥からせりあがる胃液を吐き出してしまう。
「気をつけてよ。なに見てたか知らないけど、見すぎると都市伝説の隙間人間になってしまうよ」
 留立は涙目になりながら、ここの看板が『覗き屋』であることに今更気づいた。
(“覗き“と“硯“を見間違えたんか、情けな……)
 自分のアホさ加減に苛立ちながら嘔吐していると、頭上から心配げな声が降り注ぐ。
「こんな時に申し訳ないんだけど、呼び出しがあって行かないといけないんだ。硯屋はここの裏手だから。残りの買い物は君に任せたよ」
「わかり、ました」
 口元を手の甲でぬぐってから、清崎の買い物メモ、袋に入った小瓶、財布を受け取る。清崎の小脇には何処かで購入したのだろう、薄汚れた本が挟まれてあった。
(いくら異人からの呪いで“再生する”からって、あんな酷い目に遭いながら、また本を読むのか)
 咎めたくもあり、引き留めたくもあった。しかし、秘密を覗き見てしまったとは口が裂けても言えない。留立はもどかしく感じながらも、去っていく清崎を見送ることしかできなかった。
(俺ってほんと、先輩になんもできんちゃ)
 無力感にうちひしがれながら覗き屋の裏の硯屋に向かうと、筆と硯を所狭しと並べている露店があった。丸眼鏡のお爺さんがこちらに気付いて、丸椅子から立ち上がる。
「おや、お若いお客さんだね。ここは初めてかな?」
「そうです。筆ってこんなに種類があるんですね」
 細い筆に、書道でよく使うノーマルサイズ、お爺さんの後ろには人間サイズのものもある。しかも、使っている素材も違うようで、素人目には良し悪しが全く分からない。
「ここのは呪術用だから、まずは一つ持ってみなさい」
 戸惑う留立に対し、お爺さんが並んだ筆を一本差し出してきた。試しに手で持って見ると、見た目の暖かさな乳白色とは異なり、氷のような冷たさがある。
「半魚人の骨が冷たいとなると、これはどうだ」
 次に、灰色につぶつぶの穴が空いた軸の筆を渡される。
「うわアッチィ!!」
 今度はまるでマグマのような熱さを感じて、思わず台の上に落としてしまった。
「生ける溶岩石もダメと。ふむふむ」
 お爺さんは真剣な眼差しで並んだ筆を見比べ、そして、今度は木の軸の筆を差し出してきた。
「これ、さっきみたいに熱くないですか?」
「これはそんな悪さはせんよ」
 先ほどから謎の単語が飛び交ってるが、筆が悪さとはどういうことだ。疑念はあるものの、筆は買わなくてはならない。留立は観念してその筆を掴んだ。
「……あれ?」
 普通の筆だ。冷たくも熱くもない。それが当然なのだが、なんというか、これは。
「手馴染みがすごくいいというか、持ちやすいし、すごく軽い」
 真っ黒な毛も艶があって、手触りがすごく良い。それになんだか、懐かしい匂いがする。
「筆は持ち主の霊力を札に注ぎ込む重要な役割があるが、持ち主に合う筆を持つと、みな同じことを言う……不思議なことに。君の筆は蝋梅に黒山羊の毛だ。覚えておきなさい」
 丸眼鏡のお爺さんはそう言うと、積み上げていた硯の一番上のものを留立に渡してきた。硯石はなんでもいいようだ。
 留立は会計を済ませ、次の買い物に向かった。
「えーと、次は……うっ」
 清崎の綺麗な文字で『魂屋で人間の魂を七個。予算二十五万円まで』と書かれている。確か、ここに来る途中でそれっぽい店を見たような。記憶を頼りに通りを戻っていくと、あった。呪符がついた大きなガラス瓶の中に、鮮やかなネオンカラーの炎がぷかぷかと浮いていて、とても幻想的な光景の中に、チャイナ服を着たサングラスの男がいた。
(これが本当に人間の魂なのか……?)
 留立の疑問に答えるように、値札には『ヨグ=ソトースの落とし子 五百万円也』とあった。
「あの、人間の魂はありますか?」
 男はサングラスの隙間からこちらを見た。
「あんた、何処の所属?」
 留立が胸ポケットから警察手帳を見せると、男は親しげな笑みを浮かべた。
「おや、異人課さんか。で、前の人は死んだの?」
「い、いえ。死んでませんが」
 男は瓶を留立の目の前に並べつつ、嬉々とした表情を浮かべた。
「あの人の魂は高く売れるからね。アタシ以外の奴も目を付けてると思うけど。そうかそうか。最近ちょっと値上がりしててね。今はこんな感じ」
 瓶の中には青白い炎が複数個浮いているが、値段が安くなるにつれて青が薄くなるようだ。しかし、最安値で一つ五万円。予算オーバーだ。留立は仕方なく五つだけ購入することにした。
「ま、あの人が死んだらウチに連絡して。仕入れ値、高くするから」
 男の連絡先を無理矢理渡されたが、憧れの先輩を雑に値踏みされたようでめちゃくちゃ気分が悪い。後で捨てようと思いながらズボンのポケットに雑に突っ込むと、少し先の方から何やら揉める声が聞こえてきた。
「おい、話が違うぞ! 燃えるなんて聞いてない!」
「いいえ、説明書の通りです。裏までちゃんと読んでくださいと念を押しましたにゃ」
 スーツ姿の男が長毛の白猫に向かって何やら叫んでいるが、猫は涼しい顔のままだ。トラブルになるといけないと、留立が男に近づこうとした瞬間だった。男の足元から炎が立ち上り、たちまち全身が火に包まれていく。
「説明書!? そんなもん入って、なかっ……」
 怒声すらも炎に包まれ、男はあっという間に燃え尽きた。消し炭すら残らず、ただ青い炎だけがその場に残った。唖然とする留立の横を醜い姿の化け物らが通り抜け、魂に群がる。
「魂だ!」
「俺が先だ!」
「よこせよこせ」
 その姿はまるで地獄に堕とされた餓鬼のようだ。それを猫がシャーっと声をあげて追っ払うが、留立と目が合うとにゃあと声をあげた。
「そこのお兄ちゃん、瓶でこれを捕まえにゃ!」
「え、これで?」
 留立が反射的に空いている小瓶の蓋を開けると、青い炎がすうっと中に入ってきた。
「ラッキーだにゃあ、にゃはは」
 白猫がふわふわの尻尾を揺らしながら、商品の間を上品にすり抜けていく。この店は骨董品を扱う店のようだ。お高そうな品からガラクタのようにも見える物まで、バラエティ豊かなラインナップ。その中で目を奪われたのが、『恋するあなたに』のポップと共に置かれた商品だ。透明なのか、真珠のような色味の二枚貝から綺麗な流星が流れ出るデザインだけが、空中に浮いているのだ。
「お目が高いにゃ、お客さん。それは意中の相手の心を虜にするフルートなんだにゃ。素人でもひとたび吐息を吹き込めば、にゃんとも素晴らしい音色を奏でるのにゃあ」
 猫は青い目を満月のようにしながら、にゃあんと歌うように鳴いた。しかし、実物が見えないので、本当にフルートなのか判別できない。
「試しに持ってみても?」
「構わにゃいけど、吹いたらだめにゃ。持つだけにゃん」
 確かに、相手の心を奪うのであれば、吹いてはまずかろう。この猫店主の心を奪いたいわけではないのだから。
 留立がその商品に手をのばそうとすると、横から別の手が伸びて、先にそのフルートを掴んだ。
「あっ、それは……」
 留立は自分が先にと言いかけ、隣の人物を見て言葉を失った。ボロボロのトレンチコート、体格から相当鍛えているのだと分かるが、酷く苦労したと分かる荒んだ目が、マスクと白髪混じりの癖っ毛の間から鋭い眼光を放っている。
「……君もこれが欲しいのだろうけれど、今回はボクに譲ってくれないか」
 見た目は五十代後半かと思いきや、声は案外若く、それ程歳はとっていないかもしれない。
「俺も必要なんです」
(口調、なんとなく先輩に似てるな)
 不思議な感覚を抱きながらも、留立は尚も引き下がれない。これがあれば、たった一人で何かを抱える先輩の助けになれるかも。
「君はそれを誰に使おうとしてるんだい」
「片想いの……相手です」
 男の問いに、留立は何故か素直に話してしまった。男は笑うでもなく、真剣な眼差しで対峙してくる。
「これで手に入れたとして、“お前”は満足できるのか?」
 ぶつけられた言葉に、留立は動揺する。
 道具で無理に気持ちを手に入れたとして、それはイカサマのようなものだ。虚構を張り巡らせ、女を好き勝手してきた過去と変わりない。
「俺は……」
 留立は唇を噛んだ。
 本当は先輩から話して欲しい。先輩に頼ってもらいたい。刑事になりたての未熟者が頼りにならないのは、自分が一番自覚している。夜市でのお使いすらままならないというのに。
 目の前の男はフルートから手を離さない。傷だらけでガサガサの、ゴツゴツとした、一見しただけで分かる使い込まれた手。鍛え抜かれた身体は疲弊しているようだが、闘志が漲っている。
 詭弁と頭脳だけで切り抜けてきた、薄っぺらい自分とは大違いだ。
「じゃあ、貴方は誰に使うんですか」
 勝てない。でも、悔しい。そんな気持ちが、下らない問いになって自分の口から勝手に出ていった。自分の感情すら制御できなかったことに羞恥していると、男は莫迦にするでもなく答えた。
「君ならいずれ解る。それは異人に会う鍵。『あのひと』を救うためにはもう……それしかないやちゃ」
 意味不明な言葉の羅列と唐突な富山弁に、留立は動揺した。
(異人に会う鍵? それが俺になら解るってどういう……ていうか同郷の人か?)
 でも何故か分からないけど、目が据わってて怖いけど、この人は本当のことを言ってて、本当に『その人』を求めている気がした。
 刑事の直感とかではなく、単に自分がそう思っただけだが。
(悔しいけど、この人に今の俺の気持ちは敵わんちゃ)
 敗北感と親近感と不思議な既視感で変な気持ちになりつつ、留立は一歩引き下がる。
「今のボクには必要ないみたいです」
 留立がその場を去ろうとするが、会計を始めていた男が引き留めてきた。
「ああそうだ、忘れるところだった」
 懐から魂が一つ入った小瓶を差し出される。
「これで七個揃うだろう?」
 留立はお使いの魂をまだ六個しか手に入れてないことを思い出した。確かにこれで七個揃うが、どうしてこの男がそれを知っているのだろう。
「あ、ありがとうございます……」
 留立が訝しげに受け取ると、男はまるで何かを懐かしむような、慈しむような、そんな瞳で此方を見てきた。 
「これで貸し借りは無しだ」
 その男の眼差しと万感が籠ったような声は、暫く忘れられそうにないほど印象的だった。自分の選択がその男の役に立つのかは分からないが、そうであることを願いたくなるほどに。
「はあ、なんかすごい一日やったな……」
 留立は帰路の途中、夜市の活気を背中に感じ、緊張から解放されたことを実感した。大したことはしていないはずだが、子どもが大冒険をしたような気分だった。
「これじゃあ、はじめてのおつかいちゃ」
 もっともっと成長して、先輩から頼られる男にならねば。留立は癖っ毛をかきあげ、決意を新たに宵月夜市を後にした。

​サークル

​作者

​自己紹介

とりあえずいっぴん。

文:たこわさ/絵:とうふ

人と人ならざるもの異人との間で人生に迷いながら働く警察官たちの群像劇〝異人図鑑〟を書いています。オカルト、飯テロ、サスペンス…全年齢ですが3Lや異種間恋愛なども含まれていて完全なジャンル迷子です。様々な背景・主義主張の人々が入り乱れているので、きっと作中のキャラの誰かとは共感できる…そんな作品です。



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