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冒険ランチ

言音花香/木之下ゆうり

冒険ランチ

午前の仕事を早めに片付け、足早にエレベーターへ。隣に立つ先輩は、いまだ上司からの電話を切れずにいる。その瞳は階数ランプを見上げ、ひたすら解放の時を待っていた。
地上階への到着と同時にスマホは胸ポケットに身を潜め、遂に広がる安堵の笑み。
「案内よろしく」
「はい!」
今日は久しぶりの外ランチデー。自分おすすめのカフェは、メニュー豊富で雰囲気も良い人気店。到着するや否や、先輩は期待以上の反応をみせた。
「徒歩五分圏内にこんなおしゃれな店があるなんて、知らなかった」
「すごいですよ。平日のこの時間に並ばず入れるのは初めてです」
「へえ。ツイてるな」
ソファ席に通され、メニューをシェアしながら吟味開始。しっかり検討する先輩の前で、期間限定の四文字に弱い自分は即決だった。
「よし、自分はこれにします」
「パンプキンとナッツのまろやかクリームパスタ? うん。好きそう。美味しいのか?」
「初めて食べます。でも、きっと美味しいです!」
そして朗らかに響く笑い声。
「いいね。じゃあ、俺も冒険してみるか」
いざ呼び鈴を鳴らし、手際よくオーダー。途中で「豊かな秋薫る根菜サラダ、シェアしようぜ」と無邪気な笑顔を向けるものだから、こちらの澄まし顔が陥落。目尻を下げて二つ返事した。

厨房へと去りゆく陽気な店員さんを見送りつつ、気になったことを聞いてみることに。
「でも先輩。自分に合わせる必要ないんですよ?」
「だって、和栗のプリン美味しそうじゃん」
「違いますよっ。それもですけど、パスタの方です」
「別に合わせたつもりはないぞ」
「そうだといいんですけど。冒険、とおっしゃっていたのが気になって」
「ああ、それは良い意味」
「良い意味?」
「好きなものが増える可能性に手を伸ばすって意味」
咀嚼しきれていない様子が表情に出ていたらしい。彼は続けて言った。
「それって嬉しいことだろう」
ジャケットのボタンを開放し、穏やかに始まる冒険の続き。
「俺は、興味を持てる対象への好奇心や集中力が極端に強くて、そうでないものには面白いくらい無関心な自覚があるんだよね」
「なるほど。例えば映画のジャンルでいうところの、アクションとホラーみたいな?」
予想通り、うっすらと浮かぶ苦笑い。
「悪いが後者は無関心なままでいさせてくれ。そういう類いの恐怖感を伴うものは別としてだな。ジャンルや種類を豊富に提示されても、単に興味がなくて選択対象にすら入ってこない状況は、損してるなって思うわけ。ほら、この前ライにお薦めしてもらったアニメ映画、観てよかったって言ったろ?」

そう。あれは一ヶ月ほど前。自分がハマっているアニメの劇場版を公開初日に友達と鑑賞。興奮冷めやらぬうちに先輩にお薦めしたところ、その週末に観てくれたのだった。アニメはあまり見ないと言っていたから、まさか本当に足を運ぶとは思ってもいなかった。そんな自分に先輩は、「教えてくれてありがとう」と、劇場限定のクリアファイルをプレゼントしてくれた。

「あれが無ければ、アニメ映画は今後も視界に入ってこなかっただろうから。子どもっぽい、とか粋がってさ。でも今は違う。おかげで楽しみ方も変わった。もちろん映画に限らず、今みたいにメニューも含めて、何かを選ぶときは冒険を意識してる」
その意識の高さに感心しつつも、ふと、自分の理屈っぽいところが顔を出す。
「大切なことと思いますが、いつも良い結果になるとは限りませんよね」
「もちろん。で、それはそれで楽しんでる。ハズレを知ることもまた、知見を広げてくれるからな」
なんとなく、先輩に感じていた頼もしさの源泉を見つけた気がした。
「あ。でも、ラーメン醤油派は譲れないかも」
「ふふふ。例外もあるとは、自由な冒険ですね」
「そこが良いんだよ。好きを貫きたいフィールドだってあるだろ?」
「たしかに。言われてみれば、自分のチョコ好きは譲れませんね」
「うん。チョコ食べてる時の顔、幸せそのものだもんな」
少し気恥ずかしいけれど、否定はしない。だって先輩は、チョコで緩んだ姿も見せられる相手。
そこへちょうど、根菜サラダが運ばれてきた。率先して小皿に取り分けつつ、続きを語る先輩。
「冒険マインドは、自由の上に成り立っているのかもしれないな。好きの気持ちを曲げる必要も無ければ、不変を維持する義務も無い」
「なるほど」
「そう。冒険して未開の地を一人で開拓するもよし、いざなってくれる仲間がいれば更によし。特に俺は頑固だから、こうしてきっかけをもらえると心底嬉しいわけ」
そっと差し出された、根菜てんこ盛りの小皿。ちゃんと受け取ったけれど、なかなか彼の手が離れない。不思議に思いつつ、視線を交差させれば、優しく綻ぶその面差し。
「これでも感謝してるんだぞ」

間もなく到着したホカホカのメインディッシュも、食後の甘いデザートも、先輩の冒険の地図に宝物として記録された。
むしろこちらが感謝したくなるような、とても満足そうなその様子に、自分も未開の地へ飛び立ちたくなった。期待と希望満点の地図を持つ、冒険隊長と共に。

​サークル

​作者

​自己紹介

言音花香

木之下ゆうり

マイペース物書きです。小説はノンジャンル、リアルとファンタジーの狭間な世界観が印象的かも。ほろにがい後味残すファンタジーから、唯一無二の絆、濃密なヒューマンドラマまで幅広く。どうぞ自由にお楽しみください!



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