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ルールー

ハチナナ企画/やないふじ

ルールー

 ルールーは低い木の下に住んでいる。
 梅雨どきの、ほんの晴れ間によく散歩をする。四つの足はとても短いから、てくてく、止まってるんじゃないかってはやさで、お出かけをする。
 見かけたことはないだろうか。猫より小さくて、ねずみより大きいルールーを。小さなうすい羽を持っているけれど、飛んでいるところを見た人はほとんどいない。だいいち、ルールーは恥ずかしがりやで怖がりだ。すみかからあまり出てこないし、人間に気づいたとたん、さっと隠れてしまう。そして梅雨が終わると、ぱったりと姿を消すのだ。
 それから、見る人によって姿も違うらしい。半透明のしずくのようだったり、黄緑色の真四角だったり、色やかたちはさまざまだ。
 どうして、違うのに、ルールーだと分かるのかって? 鳴き声が聞こえるからだ。もしかしたら話し声かもしれない。ルー、ルールー、と、歌うみたいな声は、近くにいるサインだ。
 きみも、ようく耳を澄ましてごらん。聞こえる? 聞こえない? ……そうか。大丈夫さ、何度でもやってみればいいのだから。
 そら。お喋りしているうちに雨も止んだみたいだね。久しぶりに、あのあじさいの公園にでも、遊びに行こうか。


 ルールーはものすごく困っていた。
 困るのは、昔、雨がぜんぜん降らずにすみかの木が枯れてしまって、ついでにルールーも干からびそうになったとき以来だ。だから今、ルール―はものすごく困っていた。困りすぎて、何をしていいのかも分からなかった。ルールーは小さい。だから、人間にしてみればたいしたことのないものも、とても恐ろしく思えるのだった。
 人間の目を借りて、ルールーがおかれた状況を説明してみよう。
 白黒に深緑を混ぜた色の壁が、ルールーの四方にそびえている。
 ルールーは、細い側溝に落っこちていた。
 あじさいが見事な公園の日陰に植えられたツツジの根元。そこがルールーの住みかだった。数日ぶりにお日様が顔をのぞかせたので、お出かけがしたくなったのだ。ルールーは梅雨にしかいないけれど、晴れている日が大好きだ。
 連日雨続きの側溝がどうなっているのか、想像してみよう。雨水だけじゃない、砂やら泥やら空き缶やら、他にも落ち葉や木の枝やよく分からないごみでいっぱいだ。けれどルールーは人間じゃない。こうしたものをつまみ上げてどけることも、「ゴミのポイ捨てをするなんて」といきどおることもしない。
 冷たくて、でもお日様の光でほんのりぬくもってきたどろどろの中で、ルールーは短い足をすごく動かしてみた。前に進んでも後ろに進んでも、どろどろは変わらないし、どうやっても壁に当たってしまう。しまいには頭を勢いよくぶつけて、ルールーはぺちょりと、どろどろの中でひっくり返ってしまった。
 水とは違う、からだにくっついて取れないどろどろの感触にびっくりして、ルールーはすぐさま立ち上がる。からだを震わせても、どろどろはあまり取れなかった。太陽や土のにおいじゃない、へんてこりんなにおいもした。
 へとへとになってしまったルールーは、ふうーっと一息つく。それからまたひっくり返りそうなくらい反り返って、空を見上げた。
 ルールーは驚いた。ふだんのお出かけでは気づかなかったんだ、目の前に次々とあらわれるすてきなものを追いかけるのに必死だったから。
 頭の上に広がっている世界は、それはそれは、今まで見てきた「すてき」を全部合わせても足りないくらい、ぴかぴかのすてきな青空だった。
 そうか! このたいへんな場所を抜けだすには、青空を目指せばいいんだ!
 ルールーはそう思ったんだろうか。そろりそろり、前へ進んでこつり、壁に当たると、そこにせっせと、どろどろを集めはじめた。なるほど、どろどろの中には大きめの石や枝なんかの硬いものもあるから、踏み台にできそうだ。ぱしゃぱしゃ、顔にも足にもどろどろをはね飛ばして、ぱしゃぱしゃ、壁をのぼるための足場をつくる。
 ようやくそれなりの高さになったところで、えっちらおっちら、ルールーはてっぺんにのっかった。ふにふに、位置を確かめるように小きざみに足ぶみすると、ちょっと止まって、びょん! とジャンプした。空を飛べないけれど、ルールーはジャンプが得意なんだ。
 けれどこのときばかりは、タイミングが悪かった。急に強い風が吹いてきて、小さくて軽いルールーのからだはふわり、遠い場所に連れていかれそうになった。ルールーは焦った。今のすみかの木はけっこうお気に入りなんだ。あんまり離れたところに着地すると、探すのが大変だ。
 心配することはなかったみたいで、ルール―は真上に浮きあがった。これならすみかにも戻れそうだ。
 うまいこと風にのっかって、ルールーはそれなりの時間、空をただよった。どきどきしていたけれど、嬉しくもあったんだ。だってルールーは、自分が飛べるなんて思ってもいなかったから。
 いつだったか、お出かけしている途中で鳥と話をしたこともあったっけ。鳥はこう言っていた。「自由気ままに見えるとしても、空の生活だって楽じゃあないんだぜ。飛べないあんたには分からんだろうけど」ってね。
「……る?」
「おいおい、いつかの水の妖精さんじゃないか」
 ルールーは目をぱちくりさせた。隣を飛んでいるのは、ルール―を「水の妖精」だと思っていて、何かとよく突っかかってくる近所の小鳥だった。ルールーは彼をタマゴの頃から知っているというのに、やたら大きな態度で話しかけてくる小鳥だった。けれどルールーは怒らない。ルールーにとって、自分を怖がったり気味悪がったりしないで話しかけてくるやつはいいやつだったし、広い空を堂々と飛び回る彼を、ほこらしい友人だとも思っていた。
「空にいるなんて珍しいね。で、風に乗っちゃってどこまで行くんだ。なんなら、おれっちと一緒にこのまま旅をするかい」
「るー」
「いやぁ実はさ、穴埋めっていうか、前から謝りたかったんだよ。あんたみたく飛べない連中のこと、つまらんやつだって思ってて悪かったって。おれっちが面白いって思うことを、あんたたちにも味わってもらえば、一緒に面白くなれるんだ、って!」
 小鳥はくちばしをカツカツさせながらそう語った。
 聞いてみれば、どうやら小鳥には最近、仲の良い犬の友達ができたらしい。その犬は人間に飼われていて、小鳥ははじめ「うへえ」と思った。飼われるなんてまっぴらだと思っていたからだ。けれど犬とたくさん遊んだり話したりしているうちに、「うへえ」は「へえ!」になったのだという。
 小鳥には小鳥の、犬には犬のやりかたがある。食いもんだって、自分がおいしいと思ったものが、他のやつにとっちゃ毒だったりするだろ? と、小鳥は一声、短く鳴いた。
「いつまでも永遠に、おれっちはおれっち、あんたにはあんたのままじゃつまらないよ。そう思わないかい? 相手が好きなことを自分でも好きになってさぁ、好きとか面白いとかが増えたら、めちゃくちゃ楽しいよ。だから」
 あんたも一緒に、空の旅を……冒険をしてみないか?
 小鳥の申し出を、けれどルールーは「るー。る」と断った。
 漂っているあいだじゅう考えていたのだ。お出かけも好きだけれど、やっぱり、落ち着くのは地面の上だと。寝るときはふわふわの雑草のベッドで……ぱりっとしたツツジの葉の天蓋つきのベッドで眠りたいなあ、と。
 それにルールーは、慣れない空の旅でけっこう酔っていた。からだについたままだった泥や泥水も徐々に乾き始めて、あちこちかゆかった。早く水浴びをしてぐっすり眠りたかったのだ。
「そっか、ま、あんたの都合もあるし、いきなり言われても困るよな。今度空に来たときは、ぜひ呼んでくれや」
「るる」
「また今度? あるに決まってるだろ。面白いことは何回だってあるもんさ!」
 喉の奥まで見えそうなくらい笑って、小鳥はばさり、方向を変えた。ルールーは右前足を振ってあいさつして、ふわふわふわふわ、落下をはじめた。
「るー、るるーるー、るー」
 だんだん、もとのすみかがある公園へ近づいていく。ルールーは眼下の景色を確認しながら、からだを揺らして歌い始めた。歌いたくなったのは、自分のからだじゅうに青空の「すてき」がびっしり詰まったのが分かって、ほこほこ、嬉しくなってしまったからだ。
 小鳥が飛ぶのも、羽に「すてき」をたくわえるためかもしれない。「すてき」がたくさんあると笑顔になるし、歌を歌いたくなってしまう。ルールーも、人間も、そうかな。
 ルールーは梅雨に住んでいる。だから青空はめったに見られなくて、このルールーはきっと、ほかのルールーに出会ったらとても自慢をするだろう。そうすれば、たくさんのルール―が、青色のすてきに気付くだろう。びょん、と大きくジャンプをして、風をつかまえ、小鳥とお話をしながらふわふわ漂うルールーが、これからたくさん増えるかもしれないね。
 決まったメロディもリズムもない歌は、すみかのツツジの向かい側のあじさいに着地するまで続いた。着地のときに勢い余って、ルール―は遊歩道にころころと転がった。細かい砂や葉っぱのくずがからだについたけれど、水たまりにはまらなかったのは、不幸中の幸いだ。
「あれ? ねえねえ」
「る? るー…………る?」
 ルールーの前にぬうっと現れたのは茶色い犬だった。犬は緑色のわっかを首につけていて、そこから伸びたひもがだらりと後ろにつながっている。ひものはじっこを持っているのは、犬とは異なり、二本足で立つ生き物だった。
「もしかして、きみ、ルールー? おうち、探しているの?」
「るる、る!」
 ルールーはぴょこぴょこはねた。二本足の生き物が話したことが、分からないのに分かってしまったのだ。びびびっと、頭にちかちかがひらめいた。初めて会う全然知らない生き物なのに、どうしてか、全然怖くなかった。
「僕たち、探すの手伝ってもいいかな。 皆で探せば、きっとすぐに見つかるよ!」


 さてさて。
 ルールーと犬と人間が友達になるのは、また別のお話。

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ハチナナ企画

やないふじ

ファンタジーの住人のつもりでしたがだんだん分からなくなってきました。小説も詩もエッセイも書きます。よろしくお願いします!



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