等身大の運命論
COLOR DROP/ツネぎく
運命。人間一人に降り注ぐ様々な事象を、誰かが創った教義に則って、1人の人間を納得させる為の名詞。
クローディアは運命という言葉が嫌いだ。
個性は人それぞれであるように、生きている間に起こることも千差万別。クローディアがよく体調を崩して熱を出すのも、寝込んでしまうのも、医者の世話になるのも【運命】。両親が愛しい娘を祖父母に預けている状況も【運命】。何でもこの言葉を当て嵌めておけば、嫌でも考える事を止めざるを得ない。彼女はそれを
『思考停止したバカ』
と言い捨てる。
ラルフの叔父が所属するグループの主要メンバーの娘で、探査スキルと情報考察のスキルに特化したギフテッド。才能に愛された彼女は
『やればできる』
を信条に、都合のいい言葉に包まれた事象が起きた要因を見つけ、検証し、自分の望む形に展開しようとする。年齢もラルフと大して変わらぬのに、言っていることは研究者や学者の論説に近い。
その運命論否定をラルフは理解している。しかし、納得はしていない。それは一定の平穏を享受した上で自主性を認められているからこそ言える論説だ。
ラルフは運命という言葉で括るべき多くの事象に振り回されていた。
誰にでも優しい黒人の父親と、しっかり者の白人の母親の間に一人息子として生まれた。しばらく前、何処かの政治家の持論と気まぐれで、住んでいた街にミサイルが降ってきた。友達や思い出、街は呆気なく壊され、父親は戦闘員として駆り出された。母親と2人で街を脱出しようと試みて、銃撃戦に巻き込まれた。母親はその際に死亡。大けがを負い病院へ収容された。引取先の分からぬ状態のラルフを、彼らの救援に尽力していた叔父が見つけた。
何故、こうなったのか。どれだけ考えても、頑張っても。ラルフが学ぶべき対象は言葉一つで括るには大き過ぎた。秩序で処理しきれぬ概念の定義づけにより、排除対象になっていたのだから。
政治のパワーゲームに興じる人間の謝罪は形式的なもののみ。既に彼が頼るべき正義はゲーム内には存在せず、力を振り上げた彼らの思想を理解したところで、失ったものの全てがラルフの元に戻ることはない。
ラルフは運命という言葉が嫌いだ。そして、クローディアが苦手だ。
今、ラルフが住んでいる中央府は人種や民族性に保守的な思考の人間が多い。出自を聞かぬまま侮蔑のラベリングがされていくので、叔父が世話になっているグループ以外は居心地が悪く、時折フラッシュバックによる不調を起こしては、叔父が懇意にしている精神科医の世話になっていた。
更にクローディアと関わる事が、ラルフの生活に負担をかけていた。
2人を知る人間は口々に言う。
『どっちも口は達者だし、無茶なことをする』
『見た目関係なしに、そっくりでしょ』
絶対、似ていない。
「さっさと帰れ!」
「いーやー!」
留守番の交代かと思い、ラルフがドアを開けた。そこから今日の押し問答が始まった。
子供とも青年とも呼べる若い2人の男女が、雑居ビルの玄関ドアを境界にして、つば競り合いを続けている。
クローディア曰く、物心がつく頃までは祖父母と暮らし、定期的に両親と会っていたらしい。
現在は全寮制の私学校に在籍。起床から就寝時間、更に外出記録も管理されている。そんな規律拘束によるストレスから、定期的に脱走を繰り返していた。
前回は寮のセンサー機能の盲点を突き、自分を認識しない高さを確認して脱走。それなりに広い敷地移動も学校職員を説得して公用車に忍び込み、運動能力の低さをカバーした。彼女とその脱走に関わった職員が反省文と始末書を提出したお陰で、学内のセキュリティチェックと寮の保安設備の機能が向上したらしい。
今回は黒のトレーナーパーカーと安価なカーゴパンツという服装でやってきた。半年は外出不可であっても、目立つ白金色の髪と瞳をパーカーの内に隠した事で、ストリートにいる同世代の子供と判別が付かなくなっている。恐らく、クラスメートを説得して外出許可を取得し、休日のみ運行している外出用の学生バスを利用したか。
ラルフが世話になっているグループ【暁の空】は、政府動静も含めて街中数カ所に偵察拠点を置いている。活動実態を公示していない政府団体ということもあって、定期的に拠点を変えているが、やってくる。一介の学生では使える移動手段も限られ、1日で移動できる距離も限られるというのに。
「私を入れないままドアを閉めたら、本当に寮にも帰らないからね!」
本当に家にも寮にも帰らなかった実績がある。無理して追い出せばまた何をやるのか分からない。ラルフは渋々クローディアを部屋に引き入れた。
「いえーい!いえーい!今日も勝ったー!!」
勝利宣言と共に、大して広くもない部屋の中を駆け回る。生活感は皆無。最低限の備品と家具が置かれているのみ。いるのはラルフ一人きり。
「で、父さん達はどこに行ったの?」
ひと回りしてきて、無邪気な顔でラルフを見上げる。2人揃って舌打ちをして、同時に顔をしかめた。
「何で知らないの?留守番でしょ」
「知るかよ……どうして此処が分かった?」
「勘」
グループのメンバーから、脱走方法と拠点の特定経路を聞き出せと言われていたが、喋る気は全く無いのだろう。恵まれた地位の子供はしたり顔で笑う。
毎度続く2人の押し問答も簡略化されているので、どこかコントの掛け合いに近い。ラルフはため息を吐いた。自信満々に言い切れば、全て許されると思っている。そして、彼女はこの状況をいつも楽しんでいる。ラルフの表情を見て、クローディアは笑い声を挙げた。
「まあ、ラルフだけしかいなくて良かった。オリバーがいたら、絶対怒られてた」
「怒られる自覚があるなら来るな。慎ましい学生をやってろ」
「あのねぇ、模範的な学生をするのも、それを続けるのも本当に大変なのよ?」
1人の観客に対して腕を振り、ラルフに詰め寄る。
「周りは思考が前向きすぎるキラキラした女の子!もしくはストレスで心折れている奴等しかいないの!勉強を頑張るだけじゃなく、そんなクラスメートの話をちゃんと聞いて、相手が心地いいって思」
蕩々と長い講釈を並べはじめるが、その台詞は最後まで続くことなかった。クローディアは何もない場所で躓き、玩具の人形の様に転ぶ。ラルフは転がったままのクローディアを見下ろした。端から見ると、自分はこんな我が儘な子供に見えるのだろうか。
「ああああああ!」
顔を真っ赤にして、しばらく床に転がったまま喚く。
「私はどーでもいい文句を聞くより、皆といる方がたーのーしーいーのー!」
やっと本音を吐き出した。
別に言わなくてもいい情報の羅列は知性と呼ぶには遠い代物で、聞いている人間の気力を奪う。彼女の鈍臭い動きも相まって、劇場の舞台を模倣して失敗する幼児の様だ。
「照れるゆとりがあるなら、頑張ってクラスメート相手に輝け。お嬢様」
「むーりー。ただでなくても寮監に目を付けられてるのに。これ以上悪目立ちしたら、おばあ様に怒られる!」
「なら、お城へ帰れ。根性無しのお姫様」
「絶対、絶対、いーやーでーすーわー」
ラルフはしゃがみ、クローディアの額を指で弾いた。
「いったあああいっ!」
ラルフは罵りの歌声を無視して、部屋の隅に置かれた新聞を机に置く。クロスワードパズルの記事を探すと、大きな枠で掲載されていた。
手に取った号でニュースが少なかったのか。それとも編集の気まぐれか。ペンを持ち、思いつく単語から空白セルを埋めていく。
【林檎】【キリン】
彼女の両親が会わない理由について、オリバーからは難しい大人の事情があるとしか聞いていない。【暁の空】の活動目的も、概要しか知らない。
【もみのき】【スプーン】
大けがをしたラルフの治療や、中央府での生活の援助をし、保障してくれているのは【暁の空】であり、クローディアの両親だ。彼らには充分感謝している。
【点】【時計】
彼女の両親は組織の活動を理由に彼女との対面をはぐらかし、アナログな手紙のみのやりとりを続けている。クローディアへ独りで行動する危険性を説く癖に、隔月に1回は起きるこのコントに対して、誰も彼女を止めようとしない。
【赤】
思考を言葉の羅列で埋めても、隙間を縫うように情報が巡り続ける。
何もかもが嫌になりそうな時は、関係のない事をしたらいい。例えば、ゲームとか。医者の先生は言っていたが、いつも思う。本当にこれが自分にとって正しいことなのか。
【エネルギー】
今、俺はここで生きていてもいい。誰も、死なない。誰も、殺されない。
【天使】
不意にクローディアが、ラルフの服の袖を引いた。
「ねえ……ちゃんと寮に帰るから、トラムの停留所まで送って」
クローディアはフードを深く被り、唇を噛みしめている。
これが、2人の間にある日常だ。時々友達。そして、お姫様とその世話係。侍従が抱える息の詰まる情報と淀む感情は、彼女の様に曝け出される事はない。単語の羅列と一緒に折りたたまれて微塵に刻まれ、リサイクルされる。
ラルフはペンを置き、ニット帽を取った。無言でドアに向かう。
ビルから外に出ると、日は傾き、周囲は暗くなりはじめていた。人通りは少ない。
2人の影は、ニット帽とパーカーの所為で似た形になっている。だが、街灯の明るさと街の舗装に埋もれて、影の形は見分けがつかない。どうでもいい一瞬が、この街で当たり前に続く時間に塗りつぶされ、変わっていく。
「ごめんね」
「謝るな。前を見ろ」
若干距離を取りながら2人は歩き始めた。歩速と街灯に併せて、2つの影が伸び縮みしていく。
「ラルフは今日、何してたの?」
「別に」
「私はそれなりに頑張って、学校の課題を出したの。んで、自分へのごほうびで父さん達に会いたくなったんだ」
「親に会うの、そんなに大事か?」
「大切よ。大切な事だから、何度でも確認したいの」
クローディアはそれ以上の事を語らず、ゆっくりと歩く。
ラルフは何も聞かず、クローディアの歩速に合わせ、トラムの停留所に向かって歩いていく。
大通りに入ると、直ぐ側にトラムの停留所がある。休日だった事で、辺りはレストランのネオンや店舗の照明は明るく、通行人も多い。
用心の為にラルフがクローディアに伸ばした手は、先にクローディアが掴んだ。
ラルフはクローディアを見る。顔色は普通、いつもと変わらぬ表情。ただ真っ直ぐに、クローディアはラルフの顔を見ていた。
「ラルフは偉い」
「はぁ?」
「与えられるものに満足する奴は幾らでもいるわ。でも、ラルフはちゃんと考えてる」
藍色の瞳が光の交雑で多くのものを映し、揺れる。
「誰かが汚した色んなものを、ちゃんと見ようとしている。私もラルフみたいに【逃げない奴】になりたいの」
「何だよ、それ」
「私はラルフが大好きってことよ」
いつもと同じ。路面電車が停留所に留まり、アラームが鳴り響いた。
「またね」
クローディアは掴んだ手を解き、発車前の路面電車に駆けていく。
車両の窓から此方を見るクローディアを眺め、車両が走り去るのを確認してから、ラルフは己が手を見る。
構うな。触るな。大丈夫。いつもは文句を言いながら振り払う。その華奢で頼りない手が、この手を掴んだ。
今日の彼女に一体、何が起きたのか。訳が分からない。
「絶対、違う」
言い聞かせるように、呟いた。