「冒険の書」はキミが選ぶもの
mechanical cherry/佐久良銀一
――行ったことの無い店に入ってみよう。
それはちょっとした日常の中の冒険。
何度も見たことがあるのにも関わらず、一度も覗いたことのないその場所は未知の空間。
一見さんお断りか、誰でも大歓迎なのか。
店主も店もフレンドリー、誰もが顔見知りなのか。
意外にもただゆっくりと過ごせるだけの店なのか。
ほんの少しの恐怖と好奇心に足を突き動かされて、いつもは通り過ぎるだけの店の前で立ち止まる。
確かに毎日通っているはずなのに、店の名前が覚えられない。
年数の経った本が持つ独特の香りが店の中にはあり、積まれている割には綺麗なそれらが面積の殆どを埋めていた。
少しだけ中に入るのを躊躇っていると、白猫が横を通り過ぎる。
器用に商品を避けて店の奥へと進んでいくと、奥から男性の声がした。
「おや、お客さんかな」
丸メガネの茶色い髪の男が、うず高く積まれた本の横から顔だけを出す。
店主と目が合うと、ゆっくりと頷いた。
「今日は『冒険』に来た、というところかな」
ふむふむ、と勝手に何かを納得したらしい店主はゆっくりと立ち上がる。本が積まれていない一人分の隙間を通り抜けて私の方へと近づいてくる。
「ここにある本は人を選ぶんだけど……。そうだな、今日は様子見というところだろうから、何があるかお話しよう」
確かに目の前にあるのに、画面の向こう側にあるような感覚に襲われる。
――それは、執着と奇妙な主従の長い長い話。
閉じたはずの幸せとは呼べない物語。
それは再び、出会いから始まりを迎える。
目の前に居る相手も、自分自身も。
そこにあるものが本物である確証はどこにもない。
それでも信じたいと縋り付き希望を捨てず。
いつか来る終わりを探す不老の者達の欲望の物語。
――それは、ある特殊能力を持つ探偵と助手達の話。
何が善で悪なのか、自分の信じる物は正しいのか。
嘘を吐くのは本当に悪だろうか。
相手をただ盲目に信じることは善なのだろうか。
憎む相手はそれでいいのか。
理由を見誤っていないだろうか。
真実が残酷だとしても事実は変わらない。
糸のほころびを解いていくような物語。
――それは、不器用な天才と幸運に恵まれた秀才の話。
その厳しさは本当に相手を貶める為のものだろうか。
不運を嘆く前に見るべき物が無いだろうか。
ただ真っ直ぐに愛しているはずなのに。
すれ違い続ける天才と秀才の物語。
――それは、最後まで希望として生きた男の話。
理不尽がいつ自分に襲いかかるのかは誰にも分からない。
人生の絶頂で未来を奪われることもある。
それでも自らの意思で終止符を打ち終わりを選ぶ。
夢の世界を生きることを選んだ俳優と、その嘘を守り通した青年の物語。
――それは、闇に生きる優しい者たちの話。
人間とは丈夫そうに見えても存外そうではなく。
たとえ笑っていても心の中はもう砕け散っているのかも知れない。
触れるだけで鮮血が溢れ出すような心の破片。
同じく赤く染まった手の平で互いにかき集める。
一度踏み外せば真っ逆さまに転がり落ちる。
光には戻れなくとも、闇の底で懸命に生き明日を信じる者達の物語。
――それは、大事な物を守るために全てを手放した男の話。
失われた時も感情も戻らない。そもそも愛とはなんだろうか。あるかどうか分からないものを信じ、愚直に尽くした男の行きつく先はどこだろうか。
戻すことは出来なくても、代わることは出来る人間の物語。
――それは、非日常を求めない探偵と心の友の話。
主人公が探偵であれ猟奇的な事件や悲惨な被害者は必要はない。
些細な違いと違和感から真実を突き止める。
それが仕事であり、続いていく日常を祈る。
未然に防げるのであれば、それ以上の幸福もない。
他人の幸せを祈り、自身の幸せを捨てた探偵の物語。
登場人物はくじけることがあるかも知れない。
けれど決して幸せな結末を、明日を諦めない。
それが今集めたキミへと私が見せることの出来る物語。
店主が微笑むとぼんやりとした思考がくっきりとした。
「私の話はややこしい? そうかもしれないね。そういう本ばかり集めて来てしまったから」
腕の中に本を積み上げて店主は笑う。
「ああ、そういえばここの話をしていなかったね?」
そう言うと店主は口の端を上げて柔らかく微笑む。
「ここは『猫ノ目書房』。商店街の近くにある、どこにでも行けるがどこにもいけない。小さくて窮屈な古本屋。偏屈な店主とのお話がご所望ならいつでもどうぞ」
白い猫がにゃぁ、と一鳴きすると店主は苦笑いをした。
「そうだ、忘れていたね、猫がうちにはたくさんいるんだ。この子は看板猫。猫好きな人にもおすすめできるかもしれない」
それで満足したのか、猫は丸くなった。
店主は棚の中にある本を一冊ずつゆっくりと他の本が崩れたり倒れたりしないようにしながら手に取っていく。
「未知は知った時点でもう未知では無くなっていく。知識を満たし興味は失われていくかもしれない。キミの好奇心を満たすものがあるかどうかは私にはわからない、キミではないからね。この店は狭くて窮屈だ。足の踏み場もないし、少しでも着込んで来ると引っかかる」
言葉と同時に店主は肩をすくめる。
不思議と逸らすことの出来ない瞳を見つめていると、店主は言った。
「この中に収まる本と言う、好奇心の世界への冒険に出たいのなら、私はいくらでも、何度でも案内しよう。時には書きかけの物語があるかもしれない、未完の物語もあるかもしれない。キミの時間を使うに値しなかったと思うものもあるかもしれない」
説明してきた本を一冊ずつ、いつの間にか目の前にあった台に並べていく。
「それを無駄と捉えるのも、経験だからと受け止めるのも君次第。この店の中にある物語を私は愛しているし、その世界が小さいとは思っていない。もちろん数も限られている。けれど外に出れば別のお話は星の数ほど、いや、砂の粒ほど溢れているのかも知れない。本という媒体に限らず縛られなければそれこそ物語はどこまでも増えていく。宇宙のように絶え間なく生まれくる物語の数を正しく把握することは我々には出来はしない。もちろん、今すぐ回れ右してキミの物語を再開しても構わない。一秒先のことは普通の人間にはわからない。未知へと突き進むのもまた冒険だ。時間は不可逆だとしても、未来はまだ決まりはしていないのだから。それを理解した上で、私は聞こう」
タイトルは見たことが無いはずなのに、何故か店主がどの本の説明をしていたのかわかった。
どうしてなのだろう、と顔を見る。
楽しそうにしながら店主は問いかけた。
「選ぶのはキミだ。さあ、キミはどこへ冒険に出かけたい?」
私は一冊の本に手を伸ばして開いた。
吸い込まれるような感覚、世界が切り替わるような、落ちていくような。
本の行間のように真っ白な空間の中で、店主の声が頭の奥に響いた。
――誰にも邪魔されることのない空想の世界へ、良い旅を。
サークル
作者
自己紹介
mechanical cherry
佐久良銀一
佐久良銀一(さくらぎんいち)と申します。
現代ファンタジーでありながら異世界転生はしてそうでしていない。
ホラーにしては薄味で、恋愛と言い切るにはほろ苦すぎる。
「すこし不思議」と「日常に潜む得体のしれない隣人達」に満ちた同一世界観の創作や短編メインに小説/漫画/イラスト/ゲーム等で表現しています。
アンソロはもっともジャンルに困る色々な物の狭間にある「猫ノ目書房」で参加させていただきました。
少しでも楽しい時間を過ごすお手伝いが出来たら幸いです。