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他人の舌を冒険させるのは難しい

水玉機関/水谷なっぱ

他人の舌を冒険させるのは難しい

「味見をしてほしいの」
 そう言ってフィンとカイの前に小皿を出したら、人間ってここまで嫌そうな顔が出来るんだな……という顔をされた。
「そんな嫌そうな顔しなくても」
「……姉さん、これ、なんですか」
 カイがちょっと震えながら小皿を指さす。
「これね、醤油」
「ショウユ? ほんとに食べ物なんですか?」
「調味料よ。私が頑張って錬成したから、飲んで。間違えた、ちょっとなめてみて」
 しかしカイは困ったような顔で隣に立つフィンを見た。フィンはいつもの爽やかな笑顔で
「この世界には泥をすする文化はないんだよ、アリス」
 とのたまった。失敬な。



 私はここ、レギスタの人間ではない。もっと言えば、おそらく別世界の人間である。おそらく、というのは私の周りに日本の東京のことを知る人がいなくて、確認のしようがないからだ。
 とはいえ見せてもらった地図に見覚えがなかったし、日本っぽい場所もなかったから、異世界ということで良さそう。
 そもそも私をここに連れてきた人が説明もせずにいなくなってしまったのだからどうしようもない。私はただ、店の復興を依頼されて連れてこられただけなのだ。
 その店が「銀枝亭」という名の食堂である。ファミレスよりすこし規模は小さいけど、カフェっていうほどおしゃれでもない。大衆食堂だ。
 料理は好きだし、人に食事を提供するのだって嫌いじゃない。それなりに楽しく店の復興をやってきた。が、いくつか問題があった。この世界に醤油や味噌がなかったのだ。
 幸いザワークラウトとかの発酵食品は存在したので、発酵という概念はあった。問題は麹だ。醤油麹どこにあるの。
 悩んでいたら、厨房にいる光の精霊と、風の精霊が相談に乗ってくれた。(この世界には精霊がいる。見える人と見えない人がいるみたい)
「コウジ、は、わからないけど、ムギのはっこうをしてるのはみたよ」
「えっと、となりの、おおきいしま」
「オトナが、シュワシュワの、のんでた」
 今私がいるレギスタはティルナノーグ島の東にある。その更に東、海を渡った先の大陸にビールらしきものがある、ということだ。
 ビールがあるなら酵母があるはず。でも酵母と麹は違うしなあ。
「シュワシュワといっしょに、シンだサカナたべてた」
「ヒガシのチンミなんだって」
「ショッパイんだって」
 しょっぱい、死んだ魚?
「それだ!」
 ようやく私は醤油に近づけた。たぶん。



 そこで作られたのがこれ、魚醤である。麹がない今、一番醤油にちかいのではなかろうか。だというのに、銀枝亭のウェイターであるフィンとカイは味見をしてくれない。あれか。匂いがきついからか。あと黒いし。この世界にあまり黒い食べ物がない。イカスミもあんこも、今のところ見つけられていない。
「しょうがないなー。ちょっと待っててよ」
 二人は断固拒否の構えなので、こちらが折れることにした。
 レギスタには米文化もなかったので、精霊や商人に頼み込んで入手(というかほぼ密輸)した米でおにぎりを作る。フライパンで軽く焼いて魚醤をちょっと塗って、焼き目をつける。よだれ垂れてきた。二人にあげないで、私が食べてしまいたい。
 それでは意味が無いので、完成した焼きおにぎりを二人の元に持って行った。

「はい、これ食べて」
「これは?」
「焼きおにぎり」
 カイが恐る恐るといった様子で手を伸ばす。そしてはふっとかぶりついた。
「あっつう!」
 悲鳴があがった。水を出すと、カイはひーひー言いながら一気に飲み干す。それから今度はゆっくりとおにぎりにかぶりついた。
「うまいです!」
「でしょ!」
 カイの分の焼きおにぎりはあっという間になくなった。フィンはそれを確認してから、ゆっくり口をつける。
「ほんとだ。おいしいね」
 そう言いながらフィンもおにぎりを完食した。
「おいしいけど、他に食べ方ある?」
「無限にありましてよ?」
「それ、店で提供できる?」
 ぐうの音も出ないとはこのことだ。醤油の使い道は無限にある。際限なく上げられる自信がある。しかし、だ。フィンの言うとおり、それをこの銀枝亭でどう提供するのか。
 まず米がない。あるけど密輸ギリギリのやり方で入手したのでちょっとしかないから、メニューに載せるのは無理だ。どうにか安定した供給経路を確保しないと店で出せない。
「無理。助けて」
「姐さん、諦めが早いです」
 カイが拳を握って立ち上がる。
「まずこのショウユ? の食べ方を教えてください。その中でできそうなものを探しましょう」
「頼もしいわ、カイ。そうね。おいしい醤油を広めるためだもの。こんなことでめげてはいられないわ」
「終わったら教えてね」
 薄情なフィンは店の掃除を始めてしまった。いや、まあ、もう小一時間で開店の時間だからね。遊んでる場合じゃないんですけどね。



 結局その場は諦めて、フィンに倣って開店準備を始めることにした。私は私の担当である厨房でスープを仕上げ、サラダの大量生産に取りかかる。
 けど、もちろん私は諦めたりなんかしない。どうにかして醤油をおいしく提供してみせる。
 ……そもそも醤油をそのまま出したのがいけなかった。文化の違いをもうちょっと考慮すべきだった。もうちょっととっつきやすい、汁物とか……なんか、こう……?
 悩みながらもサラダをざっくざっくと混ぜていく。ドレッシングは昨日作ったシーザーの残りがあったはず。
 そうだ、ドレッシングに使おう。レモンを入れてさっぱりさせつつ、オイルでとろみをつければ、たぶん違和感なく受け入れやすくなるはず。あとスープだ。そういうこの世界にあるものの味付けに加える方向でいこう。
 口に入れるものだから、そんなにいきなり冒険してはいけない。
 というか、冒険してくれない。だから私もやりかたを考える。
「ヌシ、もえてる」
「ヌシ、たのしそう」
 厨房の精霊たちが私を取り囲んで踊っている。はい、燃えてます。楽しいです。
 醤油、そして米。これらを普及するという私の冒険は始まったばかりなのだから。

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水玉機関

水谷なっぱ

ほのぼの系をメインにあれこれ書いています。今回のアンソロのお話の本編をイベントに併せて公開予定ですので、よろしくお願いします。



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