流星
射光堂/浮川千裕
穏やかな海の呼吸が揺らす青空を、柔らかな朝の風に膨らむ帆が鮮やかな白の三角形に切り取る。遠く霞の中に眩しい緑が萌える島が見えた。真ん中には高い山があって、裾野に小さな白い建物が集まっている。ヨットに乗って旅をしていたドードーとオオウミガラスと私は久しぶりの地面に喜んだ。私たちのように飛べない生き物は、やはり、大地に足を下ろしている時が落ち着くのだ。
「身体が島に慣れるまで、しばらく砂浜に寝そべることにしよう」
理知的な言葉で飾っているが、オオウミガラスはただ寝っ転がりたいだけなようで、言うが早いか、寝るが早いか、既に瞼を閉じている。
「海鳥なんだからもっと海で遊べばいいのにね」
いつも元気なドードーは波打ち際を走り回っていたり、初めて見るヤドカリに驚いたり忙しくしている。くねくねした樹の陰に腰を下ろした私は大きな旅行鞄にもたれて彼らをぼうっと眺めていた。強い陽射しの作る濃い影が随分遠くまで来たことを教えてくれた。
◯
通りかかった水牛の牛車に乗せてもらい、街の方にいくことができた。白い砂の道をゆっくりゆっくり進んでいく。ヨットが波を切り裂くのとは対照的に、大きな背中の彼はゆったりゆったり歩みを進める。黄色い小鳥が角に留まって、毛繕いをしている。幌の中を通る風は、潮風よりもさらさらしていて、飛べない鳥たちは小鳥に習って羽根を掃除して乾かしている。客席を覆う幌の内側にこの島の夜空が描かれていて、数えきれないほどの星が天の川を作っている。
「内側は夜で、外側は昼なんて、少し不思議だね」
私の独り言に、毛繕いをしていた鳥たちはきょとんとした顔を向けた。可愛い二人の顔に「星の中にいるみたいだね」と言うと、二人は仲良く首を傾げた。
水牛が脚を止め、車輪が小石を乗り越えた弾みで、黄色い小鳥は飛び立っていった。私たちの目の前には大きな川が流れていた。
◯
街の小さなお店で水とパンと甘いクッキーを買った私たちは、カヌーを借りて、森の中を進むことにした。飛べない鳥たちができるだけ星の近くに、島の真ん中の山の上まで行ってみようと言うのだ。海と川が混ざり合って、水に浸かったマングローブの森が見渡す限り広がっている。オールを一漕ぎすると、私たちの身体は想像の何倍も進んでいく。積まれた人や荷物の重さなんて感じていないように。木からこぼれ落ちた種が川の流れに浮かんでいるのと同じように。ふわふわした命の軽さを感じさせてくれる。森の中で青鷺が休んでいた。千切ってあげたパンを楽しそうに食べていたドードーとオオウミガラスは、それまでと打って変わって、学校の廊下で憧れの先輩にあったかのように固まってしまった。
「どうして緊張しているの」
彼らはひそひそと声にならない声で「だって」「なんというか」「僕らは」「飛べないし」「飛べるって」「どんな感じ」「なんだろう」とわいわい騒がしくしている。その間にもカヌーは水面を切り裂いて、青鷺は大空に駆けていった。
◯
水の森を抜け、小舟を降りた先には、彼方まで続く草原と一本道が続いていた。緩やかな下りになっていて、夏の終わりを感じる涼しさが辺りを覆っていた。カヌーに積んでおいた折り畳み自転車を組み立てて、荷物を括り付けいる内に、荷台に紐で結び付けたカートに二匹の鳥がぎゅうぎゅうと乗り込んでいた。
「自転車も私が漕ぐの?」汗を拭って一応聞いてみる。「当たり前だよ」「僕たちじゃ足が届かないし」と必死に言い訳をしている。まあ、いっか。
「下りだけだよ」と私は諦めて、ペダルを踏み込むと、その重さに一瞬ゾッとしたが、心配も束の間、坂の勢いに乗った自転車はぐんぐんとスピードを上げ、飛んでしまいそうな帽子を片手で抑えながら、余った片手でハンドルを操作することで、すぐに手一杯になった。走る景色が大好きなドードーが暴れるので、オオウミガラスも落ちないように必死にしがみついていて、なぜか三人で声を出して笑っていた。
◯
下り坂の先にバス停があったので、バスに乗ることにした。ここから先は登り坂で、山肌に沿って曲がり道が続いていた。この島で一番大きな街があって、広場にはテントが並び、マーケットが開かれていた。窓を挟んでも賑やかさや温もりが伝わってくる。座席の下では古いエンジンが震えていて、使い込まれた革の座席は落ち着く香りがする。
水を飲むと、目の前の景色が濡れた。空を見上げるとよく晴れている。「天気雨」とつぶやくと「てんきあめ?」とオオウミガラスが訊いてきた。雨粒が窓枠の中に幾つもの線を描き、季節が一気に進んでいく。彼らの知的好奇心は止むことはなく、バスに乗車中、私は天気に関する質問を受け続け、小学校の先生になった気分を味わって、少し得意げに講義をしてあげていた。
◯
真剣に講義を受ける鳥たちに眠気が襲い始めてきた頃、古いバスはロープウェーの駅に着いた。二匹は我先にと降車を告げるベルを鳴らした。山肌に沿うように山麓の街と高い山の中腹を結ぶロープが張られていて、客車がぶら下がっている。風に揺られて落ちてしまわないか不安になるけれど、山は悠然として微動だにせず、赤や黄色に色付いた葉を擦らせる僅かな音で、私の不安に「安心して登りたまえ」と応えてくれているのかも、とよく分からない想像をして、気を紛らわせて。
ロープウェーは私たちをどんどんと上に運び上げていく。街はぐんぐん小さくなり、三角や四角の建物の群れは生活感を失って、街並みの彩りだけが際立っていく。色とりどりのタイルが雨に濡れて、傾き始めた陽の光を反射していた。ドードーは大空を見上げ、オオウミガラスが遥かに遠のいた海を見下ろして、私は彼らに背中を預けた。羽根に覆われた温かさのせいか、少しだけ眠ってしまった。ドードーの鼻息で窓は曇り、外は雪景色に変わっていった。
◯
雪の上では、飛べない鳥たちよりも元気な犬がたくさん走り回っていた。大きな犬に紛れて、小さい犬が二匹いる。一匹はコーギーだけど、もう一匹の小さくて茶色い犬は何の種類か分からない。彼らは鳥たちの匂いを嗅いだ後に、私のスカートの匂いを嗅いで挨拶をしてくれた。鳥たちは大きな犬が近づくと緊張して固まってしまったが、自分より小さい二匹には強気につつき合って遊んだりしている。すっかり寒くなったので、カバンから上着と三人分のマフラーと帽子を出す。雪が積もるように私たちは着膨れしていく。ここから先は犬たちがそりを引っ張っていってくれるようだ。
私のそりを引っ張る大きな犬たち「私、重くない?」と訊いてみたけれど、夢中で引っ張っていて応えるどころではないようだ。飛べない鳥たちも飛べない理由の一つである身体の重さを心配していたけど、彼ら二人のそりを引いているコーギーと茶色い犬は余裕綽々で走っている。
「僕たちよりも力が強いね!」とオオウミガラスが感心しきりで、ドードーは「雪がなければ負けないよ!」と息を白くして張り合っていた。
◯
山頂への道は途中で途絶えていた。最後は気球に乗っていくことを犬たちが教えてくれた。来た道を走り去っていく彼らに別れを告げて、私は荷物と鳥たちを気球の籠に載せてあげた。キンと冷えた空気に火を灯し、カラフルな気球がいくつも膨らんでいく。熱が作る上昇気流が気球の列を上空へと運ぶ。夕暮れの終わり際、山を覆う雪と空と雲が淡い藤色一色に染まっている。星を探しにきた私たちを気球は宇宙に近づけていく。
やがて空気は熱を失い、私たちは身を寄せ合ってどうにか暖を取った。たくさんの気球が飛んでいたが、乗っているのは私たちだけだった。空は色彩すら失って、とうとう夜になった。
◯
この島で一番高い場所から、星空に向かう汽車が出ていた。車内に入ると橙色のランプの光が暖かく、緑のビロードのシートに私たちは深く座って、固く強ばった身体をほぐした。買っておいた甘いクッキーを3つに割って、みんなで頬張ると生き返った心地になった。車窓は宇宙の黒と星の煌めきで埋め尽くされている。
「内側は昼で、外側は夜なんて。少し不思議」
鳥たちは不思議そうに私を見た。
「窓の内側は明るくて、外側は暗いって、いつもの夜と変わらないか」独りごちた私を優しい鳥たちはずっと見つめてくれている。
◯
突然、窓の外が強く光った。
「流れ星!」とドードーが叫んで「誰か乗っているよ!」とオオウミガラスが気がついた。流星は私たちと逆方向に進む汽車だった。向かいの汽車の窓から身を乗り出して、二本の角が生えた人がこちらに話しかけてきた。
「やあ、みなさん。皆さんはどこから来たんですか」
私は遠のいていく青い星を指差して「あの星からです」と答えた。角の生えた人は目を凝らして青い星を眺めた。
「綺麗な海があるよ!」
オオウミガラスが大きな声で角のある人に教えてあげた。
「美しい森があるよ!」
ドードーも負けじと叫んで、飛び跳ねた。
「それはよかった。私はあの青い星を目指して遥々ここまで来たんです」
角のある人はそう言って、すれ違い際に手を振ってくれた。汽車は互いにすごい速さで進み、歩みを止めることはなかった。
「いなくなってしまった生き物もいるけれど」長い旅に疲れて眠ってしまった二匹の鳥たちの耳元に寄り添って「新しい命がまた生まれていくんだね」と語りかけ、私も星がこぼれ落ちる空の中で眠ることにした。