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Image by Samuelmadimi Madimi

ついのすみか

 今では見慣れた緑色の肌も、私が子供のころはまだめずらしく「実験体」のイメージが強かった。
 いずれ来る食糧難に備え、人類があらゆる道を模索していたころ。その道のひとつが「光と水さえあればエネルギーを自給できるよう身体を改変する」、つまり植物のように光合成できるようにする、というものだった。研究はやがて実践にうつされる。この取組みにより生まれた初期の子どもが同じクラスに転入してきたのは、私が小学五年生のときのことだった。
「園田葵です」
 教室は騒然とした。ニュースのなかの存在が目の前に現れたのだ、目が慣れていないから、そこだけ色硝子ごしに見ているようなかんじがする。拭いがたい違和感が、私達の好奇心を刺激した。
 当時私は口数が少なく、友達と騒ぐたちでもなかったので、緑色の転入生をじっくりと観察することができた。笑みは浮かんでいるけれど、なんだか肩をすぼめて所在なさそうにしている。そんな彼を眺めていて、ぼんやり「わかる」とおもった。
 生まれつき皮膚が弱く、少しの日焼けが火傷になってしまう私と他の子のあいだには、見えない膜が張られていた。気遣いという名のその膜は、外体育や休み時間、校外学習のときに私を見えにくくするか、逆にひどく目立たせる。放置もしくは過干渉。異質さに対する反応は両極端だ。私は慣れてるから平気だけど、転入生は大丈夫だろうか。余計なお世話かもしれないが、気をつけて見ていようと心に決めた。
 彼は私とは反対側の席に座ることになり、距離があるぶんかえって存分に盗み見ることができた。

 物静かで賢い。でも、人付き合いはうまくない。
 園田くんはそういう男の子だった。今思えば、研究目的の養育施設で、似たような境遇の子どもと大勢の大人に囲まれて暮らしていたのだから無理もなかった。級友たちの質問に誠実に答え、勝手にがっかりされて戸惑っているさまを見ると心が痛んだ。一人になったところを見計らってそっと声をかける。そういうことが何度かあって、私たちは自然と一緒にいることが増えた。
「みんなと同じで、おなかすいたらふつうに動けなくなるし。でも水はたくさん飲まなきゃいけないし。中途半端なんだよな、やることが」
 彼はすこし怒ったような口調で教えてくれた。
 まるで他人事のような言いざまが可笑しくて、私は思ったことをそのまま口にした。
「めだつわりにいがいと不便なんだね」
「そうなんだよ」
 すこし驚いたように眉を上げたその横顔がいつもより無防備に見えて、褒められたときにように嬉しくなった。緑色の肌に、切れ長の目の白いところが映えてきれいだと思ったのを、いまも覚えている。
 ひとつのベンチの、私は日陰に、彼は陽の当たるほうに座って、でも互いを隔てるものはなにもなかった。少なくとも、そのときの私はそう思っていた。

 事件は中学に上がったその年の夏に起きた。
 別の小学校と合流して、園田くんと私のクラスは分かれた。その頃には私は彼について多くのことを教えてもらっていた。他の人よりも水をたくさん飲まなければならないこと、光合成のエネルギーだけでは動き回るほどの元気はまかなえないこと、直射日光に当たりすぎると肌が硬化してしまうこと。運動は得意だが身体的な制約も多いので、チームに所属するのは控えていた。試合に出れば活躍できただろうに、ルールが追いついていなかったのだ。背がすらりとのびて手足が私よりもひとまわり大きくなり、私は青くみずみずしい枝を連想した。
 新しい環境ではよい出会いも、望まぬ出会いもあった。
「水と光があれば生きられるんでしょ、やばくね」
「でもしたらどんどんみどりになるでしょ、ホラ、そこの木の葉っぱもそんなかんじじゃん」
「ウケる、あれ以上みどりになる?!」
 いわゆる問題児のグループが、どう聞いても園田くんのことを指して笑っていた。なんの恨みがあるのか、勉強や運動ができたり、目立つ人を馬鹿にするのが趣味のような人たちで、大きな声で騒いでいるから嫌でも耳に入ってしまう。たまり場が階段そばだからまたよく響くのだ。そんな簡単なものじゃない、間違ってることだらけだと不快だったけれど、下手に指摘してひけらかしていると思われたくなかった。ので、いつも足早に通過した。何やら私のことも言っているようだったけれど、聞かないように努めた。
 今思えば、あのとき面倒でもしゃしゃり出ておけばよかったのかもしれない。
 しばらく経った日の昼休み、借りていた本を返そうと園田くんのクラスに行くと、彼の姿がなかった。クラスの子が言うには、前の時間もいなかったという。珍しいな、と思いつつ念の為保健室まで行ってみたもののやっぱりいなくて、メッセージを送ってみても返事はなかなかこなかった。学校に来れば会えるからとあまりマメに返信するタイプではないから、その日は様子を見ることにした。
 それがいけなかったのだ。
 翌日も、園田くんは学校にこなかった。代わりに彼の両親の姿を見かけて、一気に心がざわついた。
「そのだくん……葵くん、どうかしたんですか」
「ああ、咲ちゃん」
 振り返った表情の影で事態を察した。同世代の親にしては高齢のふたりは園田くんの里親で、会話は敬語だけれど仲がいいのは私もよく知っていた。
「咲ちゃんは、葵がどこにいるか知らないよね」
 声色ににじむ焦燥に事実を突きつけられながら、小さく首を振る。なにかよくないことが起きている。梅雨が明けて、日照りの続く時期。園田くんはどこでどうしているのだろう。不安が渦を巻いて、口から溢れ出しそうだった。

 その日の夕方、園田くんは学校の屋上でぐったりしているところを発見された。
担架からはみ出した腕が、黒っぽくひび割れているのが見えた。何もできないのに、頭の中は「どうしよう」でいっぱいだった。救急車が見えなくなるまで見送って、見えなくなってからも立ち尽くして、下校中の野次馬のざわめきをどこか遠いところで聞いていた。
「やばくない?」
「やばいよね」
 声のしたほうに耳をそばだてる。人の話を聞く余裕などなかったのに、それだけはくっきりと聞こえた。
「いやだってあんな弱いと思わないじゃん」
「水も置いといたし」
「まじか、意味ねえ」
 今度こそ振り返った。案の定の顔ぶれがそこにいた。逃げられたくないのでまず手近な腕をつかんだ。びっくりするほど力が入って、これが怒りなんだと自覚した。
「あんたたちがやったの」
「え、なに、こわいんだけど」
「こわかったのはあんな目にあった園田くんのほうでしょうが。なにしたの。屋上に締め出したの。そもそも屋上って立入禁止だよね。ていうかこれ犯罪だからね。水がないと死ぬんだよ。日に当たりすぎると硬くなって動かなくなるんだよ。何にも知らないでしょ。知らないからあんなことできたんだよね。あんたたちのやったことは人殺しと一緒だよ。馬鹿だったら何でも許されると思ってるの。ほら、なんとか言ってみなさいよ。いつもギャーギャー騒いでるじゃない、ねえ!」
 激昂するとつぶれたような声しか出ないことを知った。目の前の顔は揃ってばかみたいに口があいて、何ひとつ響いている気がしなかった。悔しくて、熱い涙が転がり落ちる。彼らは園田くんを同じ人間として見ていない、だからこんなふざけた真似ができるのだ。無知は罪だと心底思い知った。
 つかんだ腕は頑として離さなかった。騒ぎを聞いて駆けつけた大人たちに、「この人達が園田くんを殺そうとしました」とだけ告げて、やっと突き放した。
 私の役目はここで終わり。あとは園田くんが無事に帰ってきてくれれば。ただそれだけを祈った。

 秋も深まった頃、園田くんが帰ってきた。
 無事に、とはいかなかった。ひび割れた肌はもとに戻らず、彼の生活にはさらなる制約が課せられた。それでも、並んで歩けるし話もできる。園田くんが園田くんのまま帰ってきてくれたことが、私はなによりも嬉しかった。ということをそのまま伝えたら、彼は耳までまっかになった。
「そこまで赤くなるとさすがにわかるね」
「そういうことは言わなくていいんだよ」
 例のグループの子たちが親に付き添われて謝罪にきたという。園田くんは終始無言を貫いたそうだ。
「終わらせてなんかやらないよ」
 彼は暗い目をして、静かにそう言った。皮膚の硬化は進行性のもので、少しでも遅らせるために頻繁な通院を強いられることとなった。私の不自由さなんて比にならない。まるで樹皮のようにみずみずしさの失われた彼の手をとって、ただ涙をこぼす。
「私、こういうスジっぽい手も好きだよ」
「咲ちゃん枯れ専だったのか」
「カレセンってなに?」
 できることといったら、わざと的を外したことを言って場を和ませることくらいだ。不甲斐なくて嗚咽を繰り返していたら、園田くんののんびりした声が宙に浮かんだ。
「俺、いい友達もったなあ」
 私と同じ、ちょっとずらして和ませようとしてくれているのがわかったので、歯を食いしばって泣き止んだ。

 私達ふたりは限りなく近くにいて、どこまでも友達でいた。
 高校が分かれて、連絡する頻度が間遠になっても、年始の挨拶や誕生日には必ず電話したりメッセージを送りあった。私は調理の学校を出てレストランに勤め、園田くんは国の援助だけでも暮らせるけれどシステムエンジニアとして働くようになった。どこで何をしているかは知っていて、たまに会うと心地良い、そういう間柄のままでお互い年齢を重ねていった。
 両親が田舎に移住して、一軒家に私だけのひとり住まいになってしばらくして、突然園田くんが訪ねてきた。
「どうしたの急に」
「いやほら、ちゃんとひとり暮らししてるかなーと思って」
「ちょっと、お母さんみたいなこと言わないでくれる?」
「ごめん、本当は俺が顔見たかっただけ」
 上がってもいい? と聞かれて断る理由はない。すすめた椅子に、園田くんはゆっくりと、時間をかけて腰掛けた。
 子供の頃に何度か遊びにきたことはあったけど、大人の男の人になった彼が座るとうちのダイニングセットがいつもより小さく見える。すらりとした背格好はそのまま、年齢を重ねたぶん、樹皮のような肌もなんだか馴染んでしまった。というより……
「だいぶ進んだ?」
 単刀直入に訊いたのは、硬化のことである。彼はなぜか嬉しそうに「ばれたか」と笑った。
「遅らす治療、やめたんだ。時間かけても、あんまり意味がない」
「やっても変わらないってこと?」
「ううん、変わるんだけど。なんていうの、コスパが悪いんだよな。手間かかるわりに、幸せじゃない」
「しあわせ」
 うん、と下を向いて、そのまま話し続ける。
「終わりをひきのばしてその時間の何割かを治療に持ってかれるより、短くてもあるていど好きにやったらいいんじゃないかって。それで浮かんだのが、咲ちゃんで」
「え」
「気持ち悪いかな」
「いや、それはない、っていうかそれ以前によくわからないんだけどどういう意味?」
「言ってほしい?」
「だってわかんないもん」
 こどもみたいに口を尖らせながら、心臓はばくばくと脈打っている。うそ、まさか、考えなかったわけじゃないけど、えええ。
 考えすぎて逆に思考停止している私の反応をたっぷり楽しんだあと、園田くんはいつかの暗い目をした。
「俺が人でなくなるとしたら、咲ちゃんに見ててほしいと思ってさ。これ、皮膚だけじゃなくて、もっと中のほうまで植物化がすすんで、そのうち木みたいになるらしいんだよな。俺が一番進行が早いからまだ予測だけど、たぶん合ってると思う。頭ではわかってたんだけど、だんだん本当に怖くなってきて。動けなくなったあとも、動けるあいだも、誰と一緒にいたいか考えたら、咲ちゃんしか思いつかなかった。重いでしょ」
 ちら、と見上げられて、私は縦横どちらにも振りかねた首を斜めにかしげた。
「正直かよ」
「だって」
 子どもの頃は、彼の友達でいることに優越感すらあったけれど、いまはただ、彼の寄る辺なさが切ない。
 園田くんは、研究対象として生きる対価で得た財産を、私に残したいのだという。その後、私達は間をおかず籍を入れた。
「このまま、この家の木になりたい」
 猫の額ほどの庭を眺めながら、彼がつぶやく。
「じゃあ私はずっとここにいなきゃね」
「なんか、ごめん」
「ううん、ただ住み続けてただけの家を守る理由ができたなあ、と思っただけ」
 無駄に四脚ある椅子の、彼の向かいから隣に席を移って、ぐっと肩を引き寄せる。硬くてざらざらした手触りの奥がほんのり温かくて、それが心地よくて何度も撫でた。
「咲ちゃんは昔も今も男前だなあ」
「そうかなあ」
「そうだよ。俺、うっかり人生預けちゃったし」
「うっかりって」
 話しながら、撫でる肩の引っかかりが気になる。彼にことわって、服を脱いで見せてもらった。
「あ、芽が出てる」
「ほんとだ」
 懐かしい色。
 硬くひび割れた褐色の肌に、みずみずしい新緑が萌え出ていた。

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