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豪腕の恋敵

「この男誰なの!」
 突然の修羅場に、居合わせた人々がぐるりとこちらを振り返る。
 タミヤとショウビがいつもの食堂で夕食をとっているさなかのことであった。この男、と突きつけられた指は明らかにタミヤを示しており、本人は匙を宙に浮かせたまま呆然としている。
「私という伴侶がありながら……」
 鳶色の豊かな髪に碧色の大きな瞳。拳を固く握りしめ、肩を震わせる女性にタミヤは戸惑うばかり。ショウビは瞑目して無の境地だ。
「ショウビ、こちらの方は……」
「面目ない」
「別に謝ってほしいわけではないんですが、どちらさまで」
「あなたに名乗る筋合いはないのだけど」
「ダリア、落ち着きなさい。まずは、座って」
 ダリアと呼ばれた女性はショウビがすすめた椅子に渋々腰を下ろす。ひとまず彼女がおとなしくなったと見るや、ショウビはまず周囲の客に謝った。心配そうに見守るおかみさんにも「お騒がせしてすみません、身内です」と声をかける。
 伴侶。身内。教義に疎いタミヤでもわかる。額に星を受けた僧は、世間一般でいう婚姻とは無縁のはず。ショウビもまた然り。
「どういうことです……?」
「なんであなたに言わなきゃならないのよ」
「ええ……」
 噛み付くこと狂犬の如し。いたたまれず肩を竦める。
「やめなさい」
 向き直ったショウビはダリアを宥めて、タミヤに謝った。間違いなく、この場で一番の被害者はタミヤである。
「ダリアと私は、幼いころ同じ家で育った、いわば幼馴染で」
「そうよ。小さい頃から一緒で、ショウビが星を授かってからだって同じ街で暮らしているから、だから私待っていられたのに……」
「ダリア、人の話は最後まで聞きなさい」
 どうやらダリアはショウビのことを好いているようだがこのやりとり、傍から見れば良くて兄妹、下手すれば親子である。タミヤはいよいよどんな顔をすればよいかわからなくなった。
「だって私、ショウビがどこの馬の骨かもわからない男に連れ去られると思ったらいても立ってもいられなくって」
「「はあ?」」
 タミヤとショウビは同時に声を上げて顔を見合わせた。
「一体誰がそんなことを?」
「こいつなんでしょ」
 ダリアに指さされてむっとしたタミヤは「こいつじゃなくてタミヤって名前があるんですけどね」とやり返した上で否定する。
「連れ去るなんて。護衛を兼ねて同行してくれないかとは話してますが」
「同じことよ」
 うつむいた彼女の目から大粒の涙がこぼれる。
「私からショウビをとらないで……」
 さすがに泣かれると弱い。男二人は向かいの困り顔を見て、まるで鏡でも見ているような気分になった。
 タミヤがショウビの同行を望むのは、ショウビのためでもある。
 彼が身に帯びた双剣は、互いに正反対の性質を持つがゆえに使い手の生命と人間性を削る。ショウビを人に留めるにはタミヤのもつ医術では足りず、魔装具師の力が不可欠だ。心当たりはあるものの、その工房は遥か彼方。長い道のりになる。一度助けた命がこのまま尽きるか魔性と成り果てるか、いずれにしても見殺しにするつもりはタミヤにはない。
 それに、ショウビほど腕の立つ人間が一緒なら、今後は隊商にくっついて移動する必要がなくなる。身の安全と身軽さが同時に確保されるのは、自由を愛するタミヤにとって大きな利点だ。
「こんな男のどこがいいのよう」
「まあまあ」
 彼女の肩に、明らかに酒が入った様子の男たちの手がかかった。慌てるタミヤ、ショウビの出方を窺うも彼は澄ましたまま動じない。
「そんなやつらより、俺たちと楽しいことしようぜ」
「お呼びじゃないんだけど」
「そう言うなって、ほら、お兄さんたちもいいってよ」
 ショウビが何も言わないのをいいことに、彼らはダリアの腕をとって立ち上がらせようとする。その手を、ダリアが振り払った。
「うおっ」
 ドオン、と音をたてて男が吹っ飛ぶ。振り回した反対の肘は別の男の頬にめりこんだ。
「もうっ、関係ないやつはほっといてよおお」
 わっと再び顔を覆った彼女に、ショウビが拍手を贈った。
「いやあ、やっぱりダリアは力持ちですね。昔からよくお手伝いしてただけある」
「ばかにしてるでしょ!」
「いいえ。そういうところ、尊敬していますよ」
「ずるい、そんなの……」
 一体何の喜劇を見せられているのだろう。タミヤは状況を理解するのを放棄して食事に戻ることにする。
(あ、やっと味がした)
 そう。どんなときも、ここの鶏煮込み細切れ麺は絶品なのだ。

 ショウビの説明でこれまでの経緯を正確に把握したダリアは、さらっとタミヤに謝った上でこう言い放った。
「それで、どうしたら私も連れて行ってもらえるのかしら」
「なんでそうなるんです」
「あなたと二人きりになんてさせないんだから」
「だからもう、そういうんじゃないんですって」
 旅人に降りかかる困難は荒事ばかりではない。不衛生な環境、底をつく食料、有害無害問わず遭遇する生き物。こうした局面に彼女が耐えられるとは思えない。よしんば粘ったとして、途中で音を上げても故郷ははるか後方、帰してやるのだって容易ではないのだ。
「ショウビもなんとか言ってください」
「そうですね」
 そもそも私はまだ行くとは言ってないのですが、と前置きして、ショウビはある提案をした。
「ちょうど、憑き物落としの依頼がきています。魔性のしわざかひとのしわざか、どうにも判じかねる。今回はタミヤの知識も借りることになるでしょう。我々が何を相手取っているのか理解してもらうにはぴったりです。お試しでついてきたらいい。ダリア、ひとまずそれでいいですね?」
 これを受けてダリヤは勇ましく頷く。それで一旦おひらきになり、後日依頼対応のときに改めて合流する運びとなった。
「いいんですか?」
 タミヤが尋ねると、ショウビはふっと笑みを漏らした。
「彼女は一度言い出したらききませんから。そういうところは、昔から変わりません」
「昔からあんなに強かったんですか」
「まさか、どうも年々磨きがかかっているようです」
 ショウビのこういう人間らしさに触れるにつけ、やっぱり失いたくないなあと思う。彼を目の届くところに置いておきたいという意味では、ダリアも自分も同じようなものかも知れない、と思うタミヤだった。

 指定した時刻、指定した場所に現れたダリアは男物の野良着に胸当てや手甲までつけて、急ごしらえの戦士のいでたちであった。
「どうしたんです、それ」
「自分の身くらい自分で守ろうと思って」
「その心意気は買いますが」
 そもそもが断る前提だ。本気を出されれば出されるほど困るのだが、ダリアは知る由もない。一行はそのまま、依頼主の屋敷へ向かった。
「今日はまた雰囲気が違うのね。素敵よ」
「ありがとうございます」
 ダリアはしっかりと装備をそろえたショウビに惚れ直した様子、これがタミヤはどうにも面白くない。
(遠足じゃないんだぞ)
 自ずと早足になるものの、ショウビのほうが背が高くダリアも女性にしてはかなり大柄である。難なく歩調を合わせてくる二人が忌々しかった。
 屋敷の主はそこそこ名の知れた商人で、息子の奇行を悪霊のしわざであるとして僧院を頼った。息子を仕事に同行させて間もない時期のことで、商売敵はいくらでもいるだけに跡継ぎは盤石にしておきたいとの本音も見え隠れした。
「どうですか」
「妙な気配はします」
「私もです。嗅いだことのないにおいがする」
 タミヤたちが耳打ちし合うなか、ダリアは出された茶葉の種類を当てて夫人と盛り上がっている。
「大丈夫なんですかね」
「大丈夫でしょう」
 涼しい顔をして、ショウビは先を行く使用人のあとに続いた。
 商人の息子は寝台に拘束され、見るも痛ましいありさまだった。時折びくりと震える身体、少しの刺激で暴れだし、言葉にならない声を上げる。心神喪失とはこのことで、何ともない頃の彼を知る者は皆つらそうに顔を背けた。
 対して、ショウビが構えたのは聖剣だけではない。敵は『憑き物』ばかりではないことを、タミヤも第六感で察知していた。
(あの程度の精霊憑きで、こんな状態にはならない)
 人前で意に沿わぬ行動してしまう程度のいたずらを働く精霊である。悪質なものではないからたいてい数日で飽きて離れていく。タミヤは持ち物から香炉を取り出して、呪文を唱えながら気付けの香を焚いた。ショウビは表向き憑き物落としの術を巡らせながら、屋敷全体を縛った。ふたりとも、犯人はごく近いところにいると読んでいた。
 できれば精霊のほうも無傷で帰してやりたい。その一心でタミヤは薬草を練り、呪符を編む。ダリアの助けを得て薬を飲ませ、呪符で道筋を通し、精霊の出口をつくってやった。ショウビの聖剣が追い打ちをかける。精霊の姿が見えた。
 あと少しというところで、屋敷が結界ごときしんだ。天井が剥がれ落ち、壁がひび割れ、大型の家具が前のめりに倒れかかる。
「もう、邪魔しないでよ!」
 怒った声を上げて、崩壊を支えきったのはあろうことかダリアだった。屋敷の人間はみな彼女のもとに集まり、さながら大樹のよう。その上、さすがに驚いた様子のショウビを一喝する。
「はやくやって!」
 おかげでその場の全員が一命をとりとめ、商人の息子の予後はかかりつけの医術士の預かりとなった。犯人として使用人のひとりが炙り出されている。背後関係は僧院が調べ上げることだろう。

 ダリアに助けられた二人は、いつもの食堂でなんとも言えない表情のまま茶を啜っている。
「これで私もタミヤと同じ立場に立ったというわけね!」
「だからそういうんじゃないんですって」
「もう、好きにさせましょうか。私ももともと行くつもりでしたし」
「本当に!」
 しかしタミヤは頭を抱えた。これでは自分の旅路が愉快な仲間たちの珍道中になってしまう。
 煩悶する男たちに挟まれて、ダリアだけが目を輝かせている。
「早速準備するわ!」
 腕に浮かぶ力こぶ。彼女が心強い味方となるかお荷物となるか、未来はまだ誰も知らない。
 

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