月の娘
酒場で耳にした噂は本当だった。
都市を支える地下水路、長い時間をかけて掘り進められた全容を知ることは難しいが、人が集まれるだけの大空間となると限られる。そのどこかで闇競りが行われるとの話を耳にして、ショウビとタミヤ、タミヤの相棒の竜馬ヒサメは地下に潜った。良からぬ目的に使われるそうした場所をショウビが把握していないはずはなく、またタミヤには目に見えないものを感じ取る第六感が備わっている。
闇競りにかけられるのは、いかがわしい薬に魔道具、飼育が禁じられている生物、さらわれるか売られるかした人間。集まる輩もろくなものではない。
「やましいところにはだいたい魔法で目眩ましをかかってたり、幻惑の香を焚いたりするって相場が決まってるんですよね」
暗くじめついた地下に不似合いな明るい声はタミヤのもの。ヒサメも同調して鼻を鳴らす。医術士であるタミヤに毒や薬の類は効かないし、目眩ましなど見つけてくれと言っているようなものだ。魔力の痕跡は新しく、追跡も容易だった。
「他にも気配があるから、もしかしたらこっちが囮かもしれませんけど」
「いや」
光芒石のわずかな光がショウビの削げた頬に影をおとす。
「こちらで間違いありません、行きましょう」
その言葉はやけに確信に満ちていて、タミヤはヒサメと顔を見合わせた。
痕跡を追って横穴に入ると、それまで残滓程度だった魔力が膨れ上がった。思わず顔をかばったタミヤ、ショウビは剣の柄に手をかける。
「どうしました」
「当たりでした」
タミヤが示したあたりにショウビが魔剣を滑らせる。目眩ましと人払いの術がそこだけぱっくり割れて、奥から明かりが漏れるのが見えた。
「こういうときは魔剣なんですね」
「聖剣だと術そのものを消してしまいますからね。さすがに気づかれるでしょう」
聖剣と魔剣の二刀流。聖職にありながら、力を求めて魔性に手を伸ばしたショウビが不敵に笑う。彼はいまだに罪の意識を感じているが、おそらく適性があったのだろう。タミヤが幾度か目にした手並みは素人目にも鮮やかだった。
「開場まで待ちましょう」
身を隠した状態で、行き交う影の善悪を判別するのは難しい。競りが始まれば自ずとわかるはず。岩壁に擬態したヒサメの影から、鋭い双眸が機を窺う。
明るい壇上に仮面を被った男。競りは進むごとに不穏さを増していく。隣にいるショウビの呼吸がわずかに浅くなっていることに気づいたタミヤは、彼の懐や帯のあいだにぐいぐいと呪符を押し込んだ。
「なにするんです」
「あなたが剣の力にさらわれないように、予防線を張ってるんですよ。今度こそ命を落としかねない」
出会った頃ほどではないが、ショウビと双剣のあいだにふたたび細い流れが生まれている。ショウビの怒りに剣が呼応しているのだ。彼が攻撃の出力を上げるほど、人としての生命が流れ出していく。タミヤが同行するのは、ひとえにこれを食い止めるためだ。
「死なせませんよ」
「善処します」
「ちょっと」
そのとき、仮面の男がひときわ声を高くした。
「さあさお待ちかね、本日の目玉にございます」
鳥籠を模した大きな檻の中に小柄な人影。か細い首に不釣り合いな、豪奢なドレス。
(こども。しかも魂を抜かれている)
タミヤの目はすぐに見抜いた。薬を飲まされているに違いないが、地面を見つめる目はあまりに虚ろだ。
「可憐に着飾ったこちらの少女、いえいえ少女と断ずるにはまだ早い。世にも珍しい月の一族、その末裔なれば、長じて男にも女にもなりまする。幼くしてこの美貌、そのまま愛でるもよし、お手元の愛妾と番わせて好みの奴隷を量産するもよし、いまから仕込めばたいへん甘美な夜伽を得られましょう」
ざわりと品のない笑いが沸き起こる。あまりの非道さに言葉を失ったタミヤだったが、バチンと弾けるような衝撃を間近に感じて我に返った。
清廉な白、禍々しい赤。無表情になったショウビがゆらりと立ち上がる。
(キレてる)
思わず掴もうとした腕も届かず、彼は矢のようにすっ飛んでいく。仮面の男にまず一撃、しかし競売人たちも策は講じていたようで、すぐさま防壁が立ち上がった。その隙に脇へと転がる仮面の男、観客の手元から奇怪な猛禽が放たれ、実体をもたない魔槍がショウビめがけて殺到する。魔剣で両断し、聖剣で受けきり、火を吐くように咆哮するショウビは獰猛な獣のありさまだった。タミヤが持たせた呪符が一枚、また一枚と燃え上がって消える。
(まずい)
ショウビ/魔剣/聖剣を駆ける力の渦がめまぐるしい速さで巡っているのが見えた。よく目を凝らして見なければショウビの姿を捉えることはタミヤにはできない。いまの彼はただ暴力の器となって、自らの命すら削っている。
首をもたげたヒサメがきょろりとこちらを見た。
「いけるか」
きゅう、と声を上げてヒサメが立ち上がる。覆いが滑り落ち、鋼の鱗が露わになった。
鋭く跳躍したヒサメは、暴れ狂うショウビに猛烈な体当たりを見舞った。我を失ったショウビが斬りつけるが怯まない。玻璃の音をたてて鱗が何枚か飛び散り、苦しげに身を捩ったヒサメは勢いのまま尾を振り上げ、ショウビの両手をしたたかに打つ。回転しながら地面を滑る双剣をタミヤが回収し、手のひらに火傷を負いながらなんとか封じた。
火傷くらいなら自分で治せる。ヒサメの傷も。だから、手遅れになる前に。
暴力の嵐が止んで、ショウビの瞳に光が戻った。ヒサメを見下ろし、タミヤを認めて一瞬泣きそうな顔をしたあと、タミヤの腕からそっと双剣を取り上げた。
聖剣が宙に陣を描く。ぴりりと肌が突っ張るような感覚がして、闇競り会場のすべてが閉じ込められたのがわかった。それから魔剣で鳥籠の檻を一閃、何も映さない目をした少女のぐにゃりとした身体をそっと抱き上げた。
「タミヤ」
呼ばれてびくりとする。だが視線は逸らさない。
「ヒサメには悪いことをしましたが、もう少し動けますか。この子をシオンのもとへ」
すさまじい破壊の間を縫って進み出る。受け取った身体は思ったよりもずっしりと温かかった。
「本当に、よく助けてくれました」
シオンの膝の上で大人しく撫でられているのは、あの日の少女である。リラと名付けられた彼女は、僧院の豊かな薬草庫とタミヤをはじめとする医術士の治療の甲斐あって、すこしずつ子供らしさを取り戻していた。言葉はまだ出ないが、周囲の人間が何を言っているかはわかるらしい。時折反応を返すようになったのが、タミヤは心底嬉しかった。
こうしてシオンと一緒にみると、まるで親子のようだ。
「シオンも月の一族の出でしたね」
「そう、私も似たような境遇でした」
聞けば、シオンを救い出したのもショウビだという。
「あにさまは本当に鼻がきくから」
ふふ、と笑うシオン。タミヤも心当たりを口にする。
「そういえば、妙に自信家なときがありますよね。ほら、僕が魔力の痕跡だけじゃ合ってるかわからないって言ったときも」
「ああ」
シオンが目配せして、ショウビが頷いた。
「あにさまは、遠く竜の血をひいているからね」
「えっ」
図ったように、ヒサメがぬっと顔を出した。ショウビが背を撫でると、きゅるるると甘えた声で鳴く。
「どうやら仲間だと思っているようだ」
シオンが朗らかに笑い、膝のリラも身体を揺らす。
「並外れた身体能力に嗅覚をもつ竜の末裔、それから不可視の力を読む医術士。互いを支える第六感。あなたたちは、出会うべくして出会ったのかも知れませんね」
この言葉にタミヤとショウビは顔を見合わせる。シオンは静かに「二人と一頭の道筋に、月の加護がありますように」と祈った。