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僧院の綺羅星

 その日、タミヤとショウビはすっかり馴染みとなった食堂で、遅い朝食を摂っていた。甘く煮た穀物に干した果物や種子、つるりとした団子を投じた粥は地元の定番で、手軽なわりに食感が豊かなところがタミヤの気に入っている。この時間は人気の天幕席すらガラ空きで、タミヤの相棒、竜馬のヒサメも長い身体を横たえて悠々と燻肉を喰んでいた。
 タミヤは旅の医術士、ショウビは高位にありながら裏社会で暗躍する異端の僧である。タミヤがショウビの命を取り留めたのを発端に、義理堅いショウビがタミヤの滞在中の世話を買って出た。それから共に行動する二人である。
「こうしていると、意外と普通ですよね」
 タミヤの遠慮のない視線を受けて、ショウビは目を瞬いた。
「普通、ですか」
「少なくとも街には馴染んでますよ。偉そうでもないし怖くもない」
「凡庸ということ」
「そこは親しみやすいって言うんですよ」
 よそ者の自分が言うのもおかしな話だな、と言いながら思う。
 ショウビは聖職者の己が魔を帯びた剣を振るうことの矛盾をいまだ飲み下せずにいる。都市に集まるものは善悪の別なく、その暗部にあって自ら手を下すことを選んだショウビを、タミヤは素直に尊敬していた。自身が宗教道徳とは縁遠いこともあり、壇上に座して道を説くばかりの人間が偉いとは思えないのだ。この街で口にすると袋叩きに遭いそうだが、人間はあくまで人間で、老いや病の前ではみな平等である。だからショウビにも、自分の命は大切にしてほしい。タミヤが大人しく世話になっているのには、そんな思惑もあった。
「服装のせいかもしれませんね。動きやすさに重きを置くと、法衣は脱がざるをえない」
 自らを見下ろして苦笑するショウビの装いは生地こそ上等なもののさっぱりと簡素で、市井の人々と大差ない。荒事に慣れた腕、眉間に刻まれた皺。額に戴くはずの星もいまは返上しており、向かいのタミヤの態度もあって彼の身分を示すものは何一つない。腰に下げた得物も、普段は目立たぬように布で覆っている。
「気楽でいいんじゃないですか」
「そうでもないですよ。ひとの目を気にしなくていいということは、そのぶん己が己を律していなければならない。心のありようを問われます」
「はあ」
 タミヤの見るからに気のない返事に、ショウビは楽しそうに笑った。
「まあ新鮮ではありますね。日々の細々とした勤めがないという意味では、たしかに気楽といえます」
「へえ」
 ショウビは時折こうして歩み寄りの姿勢を見せる。タミヤも彼の気遣いを察して、話題に乗ることにした。
 しばらく話に花を咲かせる二人のそばを、ちらちらと行き来する影があった。店内に客は二人と一頭のみ、それとなく様子を伺っていると、給仕の娘とおかみさんがなにやら耳打ちし合っている。目配せで心当たりを問うと、ショウビは小さく頭を振った。
「……そろそろ出ましょうか」
「そうですね」
 勘定をすませようと立ち上がる。すると、おかみさんの笑顔が立ちふさがった。
「ごちそうさまでした、僕たちそろそろ……」
「毎度どうも。ところでお客さんたち、聖徒の方々の話をしてただろう」
「ええまあ」
 聖徒というのは、僧院に暮らす聖職者たちの総称である。
「いきなりすまないね。いろいろと詳しいようだから、さては」
 二人は息を呑んだ。
「どなたか贔屓のお人がいるんじゃないかと思ってね」
「は?」
「いやいやいいんだいいんだよ、尊いお方を崇めるのに男も女も関係ないさ。仲間の中にはあんたたちくらいの男の子もいるからね、せっかくだから仲良くなるといい」
「いや、あの……」
 全く話の読めないタミヤが隣に助けを求めると、ショウビはいたく感じ入った様子でうなずいている。
「なるほど、これが話に聞く〈推し活〉」
「ねえ、僕にわかるように説明してくれませんか」
 この二人のやりとりをどう勘違いしたのか、おかみさんは目を輝かせた。
「ちょうどいい、明日の月齢祭はシオン様がお出ましになるんだ。よかったら一緒に行かないかい?」
 これに給仕の娘も加わって、二人は断る間もなく月齢祭とやらに参加する運びとなったのだった。
 月齢祭は名前こそ祭りだが、新月の夜、煌々と明かりを灯した広場で人々へ説教を授ける僧院の定例行事である。教主を含む高位の僧が毎回持ちまわりで受け持ち、その間集まった全員が別け隔てなく同じものを口にする。いわゆる無礼講なので、普段は接点のない立場の相手との語らいを楽しみにする者も多い。
 当日、昼もすぎると街の様子がなんとなくそわそわし始めた。早仕舞いする店も多く、こころなしか身綺麗にしている者も多い気がする。
「みんなどうしたんですか」
「そりゃあ今日はシオン様の回だもの」
 早々に客のはけた食堂でタミヤが首をひねっていると、おかみさんがすかさず答えた。
「もしかして、あんたシオン様をしらないのかい?」
「旅の途上なもので」
「そうかい、運が良かったねえ」
 そんなに? とショウビを振り返ると、彼は笑って首をすくめるばかり。
「百聞は一見に如かずと言いますから」
「ふうん」
 日暮れを迎え、本日の主役を待って広場を埋め尽くす人波は圧巻だった。見渡す限り、頭ばかりが続く。見ていると酔いそうなので上を向くと、どういう仕掛けか無数の灯籠が宙を漂いながらあたりを照らして、昼と見紛うほどであった。他愛もない話をしながら群衆に身を委ねているとどこからか蒸し菓子を積んだ盆と水差しがまわってきて、各々が自分のぶんをとっては隣に渡していく。
「だから杯は持参なのか」
「そういうこと」
 すぐ前の店主が振り返ってにっかりと笑った。
 演壇は建物から突き出した船の舳先のような形をしていて、タミヤたちはそこから目鼻立ちくらいは見分けられるほどの位置に陣取っていた。おかみさんたちのなみなみならぬ熱意の賜物である。彼女たちは目をきらきらさせてまだ空っぽの演壇を見上げ、他の者もその様子を微笑ましげに眺めている。
 ところが、浮足立った空気のなかで、ショウビだけが首を縮めて杯の中身を見つめていた。
「どうしたんです」
「いえ、こんなに近いとは思っていなかったもので」
 僧院の人間ならショウビの身内のはずだ。タミヤは小声で問う。
「なんか不都合でもあるんですか」
「そういうわけでもないんですが」
 照れくさいのか、それともシオンという人と確執でもあるのか。タミヤはそれ以上追及しないことにした。
 否、できなかったのである。
 高く雅やかな余韻を連れて鐘の音が響き渡った。数えて八つ、その間に広場中の物音を包み込んでどこかへと運び去ってしまい、あとには水を打ったような静寂が舞い降りた。少し間をおいてしゃらりと鈴の音が鳴ると、ひゃああと抑え気味の悲鳴が上がる。それはざわざわと伝播して、広場を揺らすどよめきに変わった。
 演壇に人影があらわれた。
 宵の空のような紫をたっぷりとまとって、額にひときわ明るい星を一粒。歳はタミヤとそう変わらないだろうが、年齢など些事であると言わんばかりの不思議な魅力を発している。
 この男こそ〈綺羅星のシオン〉その人であった。
「シオン様ー!」
 何人かが声を揃えて呼びかけるとその手のひらをふわりと掲げた。群衆がさらに沸きたつ。イメージしていた聖職者とずいぶん違う様子に、タミヤは困惑してショウビを振り仰ぐ。
「なんかおかしくないですか」
「これがあながち馬鹿にもできないのですよ」
 ごらんなさい、とショウビが指差した群衆の後方で、小さく稲光が瞬いた。瞬間、ビシッと鋭い音をたてて演壇の装飾が砕け、シオンの頬に朱線がはしる。
「ちょっとなにすんのよ!」
「この不届き者が!」
「皆、やっちまえ!」
 おとなしく並んでいた人々がそこだけ煮えた湯のごとく盛り上がったと思うと、あっという間に犯人がつまみ出されていった。騒動がおさまると、みな何事もなかったかのように演壇に向き直る。
「こ、こええ〜」
「とまあ、このように。人々が自らの手で平和を守っているのです」
 平和とは一体。しかしショウビは、「私もこちら側から見るのは初めてです」と満足げだ。
「でもこれって一歩間違うとえらいことになるんじゃ」
「そう、だから我々はつねに人々の規範であらねばならない。ああ見えてシオンも位にふさわしい人物ですよ」
 広場にふたたびやわらかな静寂が戻った。シオンの少し高くよく通る声音は、さきほどの襲撃すら枕にして、〈愛でることと憎むこと〉と題した話をはじめる。彼の語りは説教というより昔話のようで、あたたかな親しみが広場にたゆたう。
「要はですね」
 ショウビがささやく。
「みなそれぞれ贔屓の僧がいて、その者のためにと励むことで自らを高めていく結果、自治が保たれるという塩梅で」
「推し活を通じて徳を積むということ」
「そういうことです」
 そして、この構造をつくった人物こそ、他ならぬシオンだという。
「彼が光、私は影の守りを担うのです」
 演壇を見上げるショウビの横顔は、タミヤの目に誇らしげに映った。
 シオンは語るあいだ広場を眺め渡す。と、タミヤのほうを見て顔色を変えた。
「あにさま!」
(ん?)
「いけない」
 急に慌てたショウビをタミヤは信じられない目で見上げる。
「え、兄弟なんですか?」
「違います、ただ我々には星を授けた者を兄と敬うならわしが」
「ほぼ兄弟じゃないですか!」
 さきほどまでの浮世離れした尊さから一転、ショウビを慕って無邪気に笑顔を振りまくシオン。あたりを黄色い絶叫がつんざく。
「あとは頼みます」
「えっ」
 どんな術を使ったのか、ショウビは姿を眩ましてしまい、残されたタミヤが無差別質問攻めという苦境に立たされる。
(おのれショウビ)
 しかし、それすら序の口であった。
 シオンの破壊力にあてられて倒れる者があとをたたず、広場は月齢祭どころではなくなった。事態を予測して控えていた地元の医術士たちとともに救護に奔走したタミヤは、一睡もできずに朝日を拝む羽目になったのだった。

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